私の宇宙からこんにちは、natanです。
今回は、筋肉が時間と関係しているという驚きの話をご紹介します!
▼ 前回までのお話 ▼
知覚器官は「変化」を知覚する
では「時間性を支えているものは何か」と言ったときに、世界を見ている私たちが感じる時間というのは「変化」として現れますよね。
Ricardoさん:何かが動くとか、音も時間を追ってでしか私たちは意識しないですし、とくに音楽なんかはその最たるものじゃないですか。
時間を追ってでしか音楽は成り立ち得ないですよね。
Ricardoさん:時間を知覚する代表的な知覚器官の例として、原初のカエルの話があったように、当初の視覚器官は変化しか捉えなかったようですし、人間に限らず生物の基本的な知覚器官は「変化の知覚」なんです。
その変化には絶対指標があるわけではなく、たとえば人間の体温は37度弱ですが、そこを基軸にして温度を知覚するわけではないんですよね。
お風呂の中に手を入れていたら、だんだん温度に慣れてくるとか、暗闇の中にいるとだんだん目が慣れて物が見えてくるように、じつはこの基軸自体もずれるんですね。
基軸がずれるとだんだん変化を認識しなくなる。
変化を常時認識するためには、人間自身(主体側)が動くことで世界との差異を新たに生みだします。
筋肉と時間
主体側が動いて世界との差異を常時生みだしていくためには動きが必要ですが、その動きを支えるのが「筋肉」ですよね。
Ricardoさん:生命が動くためには骨格筋といわれるような大きな筋肉が必要で、そういう筋肉があるからこそ行動という形で動きを取ることができるわけで、行動が可能だということはつねに世界との差異を感じることができるのだと思います。
世界の表象を捉える知覚器官の特性から考えると、つねに差異や変化をイメージの中に現しつづけなければいけないんですけども、変化をつねに起こしつづけるためには、主体側が動きつづけなければいけない。
そのために筋肉があるし、動くことでつねに世界との差異が生まれつづける。
差異が生まれつづけて、そこに時間性を認識するんじゃないかと思うんです。
意識の中に変化が現れて、それが時間として認識していくことになるんですけど、そういったベースとなる部分、変化としての時間を支えているのが筋肉ではないだろうかと三体ではみています。
今、幅的(客観的)な説明の仕方をしているので「何を当たり前のことを?動く以前に時間が存在するから動けるのでは?」という疑問が出てくるかもしれません(笑)
三体で言いたいのは、自我意識における時間性を支えている、意識の背後にある構造は何か?ということです。
私の実体験と繋がるところがありそうですね。
過去への囚われと筋肉の関係について
過去に囚われたり、未来に不安を持っている人は、筋肉が凝っている人が多くいるような気がするのですが…。とくに過去の問題を抱えている人は結構体がガチガチしているというか…。これは何か関係がありますか?
関係ありそうですね。
Ricardoさん:無意識レベルの関係性として、過去に囚われているが故にアクションできないとか、身動きできない心理状態になっていることの身体的表現として「動きにくくなった筋肉」は「凝り」を招きますよね。
凝った筋肉というのは、筋肉の緊張状態が継続するために凝ってしまいます。
たぶん、過去のトラウマや未来に対する不安を持っている人は、比較的体が緊張状態を継続してしまうんだと思うんですよ。
あるいは、変な姿勢でずっと居続けてしまう。
不安視する人って背中が丸まっている人や、下を向く人が多かったりするわけですよ。
同じ姿勢をずっととっているが故に筋肉もその状態で固まってしまう。
筋肉が凝ると変化しづらくなりますよね。
動きに柔軟性がなくなってくる。
柔軟性があって可動域のある身体を持っているスポーツマンなどは、世界に対するアプローチの範囲がすごい広いですよね。
Ricardoさん:プロスポーツマンなんかは前向きな人が多いですよね。
自分の可能性を信じられる根拠になっているのは「世界に対して自分はどんなアプローチもできる」という自覚がそれを支えているような気がしますね。
うんうんうん、面白い見方ですね!
Ricardoさん:心理的な余裕や楽観性を持てる、その根拠となるのは柔軟性のある未来だったりするじゃないですか。
そういう人にとっては、時間性が固まらずにスムーズに変化が可能だという印象が自分の中にあるんだと思うんですよ。
トラウマのある人にとっては、過去のトラウマのある時間のところは凝り固まってしまっているわけですよ。
その凝り固まっている時間に囚われて、「明るい未来はない」と思い込んだり、自分の可能性は限られているんだと思い込んだり、時間性が非常に固いんですよね。
おそらくそういう人にとっての身体は可動域が狭かったり、柔軟性に乏しいというようなことに結びついてくるというのは、空間性の柔軟性の欠如と関係があるのではないだろうかと確かに思いますね。
「時間性が固い」という表現がいいですね!
Ricardoさん:本来、柔軟なはずの若者が凝り固まっている場合はそういう可能性はありそうですね。
ちなみに、これらは身体論の話じゃなくて、三体の場合は、意識の状態を表す背景としての身体や空間、という見方をしますので、客観的には「そういう身体の状態だからそういう意識の状態になる」ですが、三体は「そういう意識の状態を構成する身体や空間(環世界)とはこう現れている」とみます。
主観側を基軸に考えます。
次回につづく…
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