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【改善提案/ψ9~12】最終章☆アンバランスな魂の危険性について―シュタイナーの教えより

魂バランス8 基礎知識&人類の課題(シュタイナー思想)
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は改善提案シリーズの最終章として、シュタイナーの魂に関する教えをご紹介したいと思います。

前回は、元臨床心理士の春井星乃さんの考察をご紹介しました。

今日はシュタイナーの書籍『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』より、霊的進化の修行に取りくむ場合の危険性について、お話したいと思います。

そして、今回で改善提案シリーズを終えたいと思います。

▼ 参考文献 ▼

この記事で学べること
  • 神秘修行の過程の中で、三つの魂は霊的世界から結びつきを断ち切られる
  • アンバランスな魂の状態で神秘道に入ると、優位を占めていた力が暴走する
  • 魂バランスを取ってから修行に入らないと、自分自身が分裂してしまう危険性がある
記事を読むときの注意点

以下の解説は、本家ヌーソロジーの内容を私流に解釈したものです。本家ヌーソロジーの解説とは異なりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。

このシリーズは、潜在期における次元観察子ψ9~12について、現代人一人ひとりの魂(心理的)問題に着目し、そこから私が独自に仮説立てをして、人生の問題解決や意識顕在化につながるヒントを提案するというお話です。

ψ9以上の観察子解説は、「潜在期における次元観察子」になりますので、空間認識ではなく、人間の意識発達というジャンルで解説をしています。

神秘修行の過程で魂に起こること

私たちは、誰でも意識進化のために、霊性について自由に学ぶ権利があります。

しかし、現在のスピリチュアルや精神世界の教えでは、「霊性について学ぶための条件」もしくは「克服すべきこと」などについて、あまり語られていないのが現状です。

どんな人でもお構いなしに、「スピリチュアルの世界にようこそ」という印象です。

じつは、霊性を学ぶ時にはそれなりの基本的条件をクリアしていないと、大変危険であるということを知りました。

ストップ

シュタイナーも書籍の中で、魂のバランスを取ることが重要であるといいます。

その理由について、こう述べます。

ルドルフ・シュタイナー
ルドルフ・シュタイナー

魂のバランスが崩れている状態で神秘修行に取りくむと、大変危険な状態に陥る。

シュタイナーは神秘修行、いわゆる霊性を学ぶ前の人間について、こう話します。

改めてここでいわゆる危険の幾つかを述べることにしよう。

修行によって修行者のエーテル体とアストラル体に大きな変化が生じることは当然である。

この変化は魂の三つの基本的な力、意志、感情、思考の進化の過程と関連している。

この三つの力は修行以前には、高次の宇宙法則に従って相互に特定の結びつきを保っていた。

人間は勝手な仕方で欲したり、感じたり、考えたりはしない。

たとえば特定の表象が意識の中に現れれば、自然に特定の感情がそれと結びつく。

あるいは、それと必然的に関連する決断を呼び起こす。

或る部屋に入って、そこが息苦しいと思えば、窓をあける。

自分の名前が呼ばれれば、その声に注意を向ける。

質問を受ければ答える。

悪臭を放つものをみれば、不快な感情を抱く。

これらの事柄は思考と感情と意志との間の単純で必然的な関連を示している。

そして人生はすべてこの関連の上に打ち立てられているのである。

事実、正常な人間とは思考と感情と意志とがこのような結びつきを現している人間のことである。

「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」より

ヌーソロジーでいう人間型ゲシュタルトとしての潜在期における魂の働きは、高次宇宙に守られ、その法則に従って動いているそうです。

この意志、感情、思考の働きが、神秘修行の過程の中で、結びつきが断ち切られるそうです。

さて、人間の霊的進化に際して、これら三つの基本的な魂の力を結びつけていた糸が断ち切られる。

最初この切断は、今述べた霊妙な魂の組織体の中でのみ生じる。

しかし修行がさらに進むと、この分裂は肉体にも現れてくる。

(中略)

このようにして思考と感情と意志の器官は、それぞれ単独で存在するようになる。

それらの結びつきは、もはやあらかじめそこに植えつけられた規則によって作り出されることはできず、人間自身の中に目覚めた高い意識によって、新たに作り出されねばならない。

――そしてこのことこそ、神秘修行者がみずからのうちに認める変化なのである。

ハサミ

修行の過程で、魂の基本的な三つの働きが単独で存在するようになると、修行者自身の魂の力は、宇宙の根本的な力と親和し合うようになるそうです。

たとえば、意志の力は霊界の特定の存在に働きかけることができ、そのような存在を知覚することもできるそうです。

たとえば、誰かが自分に憎しみの感情を向けた場合、この感情は自分にとって一定の色彩を持った霊妙な光の雲として現れる。

これを知覚できる人は、襲ってくる刀剣の切っ先を払うように、この憎しみの感情を受け流すことができるそうです。

たとえば、以前なら燃えるような愛情や恐るべき嫌悪に襲われたであろうような事実を前にしても、まったく無感動のまま、その前に立つことができる。

魂それぞれが独立することによってお互いの影響を受けなくなり、それによって独立して魂を機能させることができるため、魂を一種の道具として使い、霊的世界を認識していけるのだそうです。

魂バランスが崩れた場合の三つの誤り

この意志、感情、思考の相互分裂は、神秘学上の指示を無視する場合、修行の過程で三つの誤りを犯すことになるそうです。

思考と感情と意志力のこの相互分裂は、神秘学上の指示を無視する場合、修行の過程で三つの誤謬を犯すことを可能にする。

これらの誤謬は、高次の意識が相互に分裂した三つの力をいつでもふたたび自由に調和させうる能力を獲得する以前に、すでにこの分裂がはじまってしまった場合に生じる。

――なぜなら魂の三つの力がそれぞれ同じ進歩をとげているということは概してありえないからである。

或る人の場合、思考が感情と意志より先に進んでおり、別な人の場合は別な力が優位を占めている。

高次の宇宙法則によって三つの力の相互関係が保たれている間は、特定の力が優先することによって、霊的に障害となる不都合は生じ得ない。

第一の危険性(意志)

たとえば意志的な人間の場合、思考と感情はこの法則によって和解的に働き、圧倒的な意志の力が魂の状態を悪化させないようにしている。

しかしこのような意志的人間が神秘道を修行すると、感情と思考の調和的な影響力は、強大な作業能力をたずさえ行使したがる意志に対して完全に無力になってしまう。

修行者の高次の意識がみずから調和を作り出すまでに達していなければ、意志は統禦(とうぎょ)されぬままに自分の道を突き進み、その担い手である人間を圧倒する。

感情と思考は完全な無力状態に落ち込む。

人間は自分を奴隷のように支配する権力意志によって鞭打たれる。

いかなる拘束も受けずに行為から行為へと突っ走る暴力的人間が出現する。

統禦(とうぎょ):全体をまとめ支配すること。

暴力

第二の危険性(感情)

――感情が際限なく合法則的制約から解放されるとき、第二の邪道に落ち込む。

他人を崇拝する傾向を持った人は、限りなく依存性を求め、自分の意志や思考をまったく見失ってしまうことになる。

高次の認識の代わりに、憐れむべき内容空虚と無気力の生活がこのような人物の運命となる。

――あるいはまだその圧倒的な感情が敬虔さと宗教的高揚に傾きがちな性質の人は、彼を妄信的な宗教的熱狂に追いやる。

祈り

第三の危険性(思考)

――思考が心の中で圧倒的地位を占める時、第三の悪が生みだされる。

その場合、日常生活を敵視する自己閉鎖的な隠遁(いんとん)生活が生じる。

このような人にとって、世界は、無限に強められた認識衝動を満足させる対象を提供する限りにおいてのみ、意味を持つように見える。

その人の感情や行動はどのような思考内容によっても刺戟されない。

いたるところで冷たい無感動な態度が現れる。

日常的な現実と関係することは嘔吐をもよおすような、あるいは少なくともまったく意味を持たないような事柄でしかない。

隠遁(いんとん):交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。

寂しい

私の考察

上記を簡潔にまとめます。

魂の基本機能である意志、感情、思考は、もともと同じ進歩を遂げているものではないため、人それぞれ優位を占めている力が違う。

そのアンバランスな魂の状態で神秘道に入ると、優位を占めていた力が暴走するということですね。

  • 意志が強い場合:行為から行為へと突っ走る暴力的人間となる
  • 感情が強い場合:感情的に夢中になって何かを崇拝するようになる
  • 思考が強い場合:愛情に欠けた冷たい人間となる

神秘修行と聞くと、私たちより高い意識を持った人たちが行っている修行のように聞こえます。

しかし、けっしてそのようなものではなく、普通に私たちがスピリチュアルや精神世界の教えを学び、それに取り組むことも神秘修行に該当すると考えます。

シュタイナーが言っていることは大げさのように聞こえるかもしれませんが、現状を見渡してみると、今まさにシュタイナーが危惧していることが起こっていると私は思っています。

なぜなら、心に問題を抱えている多くの人たちが救いを求めて、スピリチュアルの世界に足を踏み入れているからです。

ヌーソロジーも例外ではありません。

心のどこかに

この世界が苦しい。

この世界から出たい。

楽になりたい。

そんな気持ちで、この世界に入ってきている人がたくさんいます。

自分の心の問題にフタをするからこそ、自分の特技だけにより磨きをかけようとしてしまう傾向があるように思います。

そして、自分の特技が突出してしまうがゆえに、それが悪に転じてしまう可能性が出てくるのかもしれません。

逃げる

しかし、こういった危険性をほとんどの方が知りません。

知られていないからこそ、「誰でもスピリチュアルの世界においで」と誘ってしまいます。

今は世界が二極化するといわれていることも拍車をかけ、たくさんの方がスピリチュアルを学ぼうとしています。

しかし、この世界に入る前にやるべきことがあるのと思うのです。

自分の心の問題をクリアにすること。

自分の魂のバランスを取ること。

そうしなければ、スピリチュアルの世界に入って幸せになるどころか、自分自身が分裂してしまいます。

私も身近な人で、心の問題を抱えたままスピリチュアルに身を投じ、幸せになるどころか、ニヒリズムに陥っている人を見てきました。

本当は自分自身の問題に向き合うこと、人生とは何かを真剣に考え、それに取りくむことがスピリチュアルだと思うのです。

魔法の世界に行くこと、魔法の力を手に入れることがスピリチュアルではないのです。

まず前提が間違っているんです。

ストップ02

昔は神秘道に入るために、ある一定の入会条件が課せられていたそうです。

詳細はわかりませんが、「40歳以上、社会的にしっかり仕事をしている、家庭を持っている…」といったような条件があったそうです。

入会の条件は厳しかったようです。

それはこれまでもお話してきたように、現実にしっかり足を着けて生きている人、そして世俗の問題をしっかりクリアしている人でないと、霊性の修行に取りくむことは大変危険だからです。

霊的世界に人類が参入するために、この現実世界という訓練の場があると私は思っています。

この現実世界で精神を鍛え、そして参入していくのが霊的世界だと思います。

こういった教えが今はないため、多くのスピリチュアル難民が誕生していると考えます。

まとめ

本当の幸せとは霊的世界にあるのではなく、この現実世界にあります。

そこに気づくことが、霊性を学ぶ上でとても重要だと思います。

だから、現実と向き合うことが大事なのです。

だから、他者と向き合うことが大事なのです。

現代において、昔の神秘道と同じ条件を課す必要はないと思います。

ただ、自分自身をしっかり見つめて、地に足をつけて人生を歩いていくことが大切だと思います。

魂のバランスを取ることは、本当に大切なことだと思います。

自分自身を守るためにも、そして正しい進化の道を歩んでいくためにも、ぜひ自分を見つめて、自分の魂をバランス良く育ててください。

変換人になるためには、絶対必要なことです。

私も頑張りますので、一緒に頑張っていきましょう!

▼ 参考文献 ▼

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