私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、空間と身体の相関関係についてのお話です。
▼ 前回までのお話 ▼
奥行きの幅化~環世界の出現
このような空間の階層性を見ていったときに、三体で捉える環世界の概念は身体性と空間性には相関関係があると見るので、空間としては構造性があるとしても「こういう空間性があるんだとすれば身体はどうやって今のような身体になってきたのか」ということを考えるんですね。
Ricardoさん:ヌーソロジーの空間は素粒子レベルの解説をしていますけれども、「持続的な奥行き」と「幅化された奥行き」といった二つの空間の見方をしますよね。
赤ちゃんだったり動物だったり、今の人間意識になる以前の段階では、空間性というのは持続的な奥行きの空間性を示していたと思うんですよ。
そこからもっとたどっていけば、素粒子の段階から持続的な奥行きの基礎構造があって、生命空間をたどって人体空間をたどって、自我の空間で奥行きが幅化して、幅の構造が幅の意識となっていくというような背景構造が、今の人間のいろんな構造観と意識を作ってくるわけです。
そうしたときに、身体の発生過程をたどって、さらには生命史をたどっていって、生命の身体ってどういうふうに変化してきたのかなと。
生物進化で見る身体構造の変化
ここでまたAnimandalaで教えていただいた話ですが、エディアカラの生物群のように浮遊している形態から、カンブリア紀を直前に線虫とよばれる細長い身体構造が出現していたそうなんです。
Ricardoさん:そしてカンブリア爆発のところから生命は目という構造を獲得したそうです。
当時は外骨格の生物が多かったんですけど、その中で内骨格の生物は神経系統の束のような脊索(せきさく)ができて、後にそれを囲むようにして脊椎ができて、骨格ができて、ヒレから手足ができてきます。
そして、爬虫類のようなずりずりハイハイするような手足から直立するような手脚になって、サルのような脊椎を持ち上げて立ち上がるような身体構造に変化してきます。
Ricardoさん:エディアカラの生物群の環世界においては、奥も前も左右も天地もほぼ無いと思われるわけですよ、プカプカ浮いているだけなので。
環世界の空間構造としてはね。
ところがカンブリア爆発の直前に出てきた線虫という生物は、直線のような身体構造を持っているので、前に進むという行動様式をとるそうなんですよ。
そういう身体形態と行動様式における空間構造というのは、自然と奥に向かっていくような空間構造がその生物の環世界に現れてくると考えられますよね。
それは、線虫の環世界上で持続的な奥行きが構造として幅的な奥行きになってきたということなんじゃないかなと思うんです。
身体の構造は空間構造の一つの現れ
身体の構造は空間構造の一つの現れなんでしょうか。
そうじゃないかと思います。
Ricardoさん:身体がその生命の環世界の空間構造を決めるのであれば、構造として身体の形が変化したことに伴って、環世界の空間の構造も変わっているはずと思うわけです。
カンブリア爆発直前に現れた直線の身体形態と行動様式によって空間構造が変わって、さらには目ができることで「見える」空間が現れて、より持続的な奥行きが明確になってくるんですよね。
そうして、構造として奥行きの幅化がどんどん強化されていって、両生類のような身体構造を経ることで、奥だけに限らない行動様式が横方向の二次元的な空間構造として現れてきたんじゃないかなと思います。
Ricardoさん:腹ばいで歩き回っていた身体構造から足が地面に直立するようになった四つ足の段階では、今度は縦方向にも少し空間構造が現れてきます。
そのときこれまでの平面的な二次元の世界観から今度は三次元的な空間構造が現れて、身体における環世界が現れたと。
そして、サルになってくると直立に近い状態の身体構造を持つことで、もっと縦方向の幅化が構造として進んできたんじゃないかなと思います。
そうして、生命の進化をふり返り、そこに環世界という概念をかぶせると、自ずと体の変化に伴った環世界自体の構造の変化が見えてくるんじゃないかなと思うんです。
空間構造の発展による身体構造の獲得
これまで身体の話から空間の話をしましたけど、逆の発想で、空間の構造が発展したことで身体が現れてきたんじゃないかと見ると、ちょっと面白いんじゃないかなと思うにいたるわけです。
Ricardoさん:持続的な空間の構造がどんどん幅化していって、横方向、縦方向の空間構造として現れてきた生命は、どんどん進化の形態をたどるような身体を獲得していって、その空間構造を示すような身体構造として体を獲得してきて、変化してきて、今の人間の身体構造に至るような変化をしてきたというふうに捉えられるんじゃないかなと思っています。
今の説明の中で、空間が発展してきたから身体が現れてきたという、その視点を持つ意味というのか、なぜその視点を面白いと思われたのでしょうか?
三体としては、身体と空間の連動性や反転性を捉えていきたいんです。
Ricardoさん:環世界というワードで説明する分には身体性と空間性というのは説明できますけど、環世界というワードだけでいうと、あくまでも地球という舞台があって、人間が捉えている空間性は「地球という箱庭の中をこういうふうに捉えていますよ」という説明にしかならないんです。
そして同じ箱庭の中に別の生物、たとえば犬なら犬の身体のセンサーに応じた世界の捉え方をしていますよという説明にしかならないんです。
そうじゃなくて、三体はもっとダイレクトに空間構造と身体構造は連携しているんじゃないかなと考えたいんです。
人間の成長の中で環世界が変わるのは当然のように、生命の進化をたどったときに、生命の進化が得てきた空間構造をもっとダイレクトに考えてみると、進化する生命の形が感じてきた空間性ではなくて、空間の変化に応じて身体の変化が起きてきたと見る方が、より空間と身体の連携性があると思えるんじゃないかなと考えたんです。
三体のシンボルマークにもあるように、意識が活躍する舞台として、身体と空間が反転していると三体では捉えているんですが…
ある宇宙というただっ広い箱庭の中に地球が誕生して、その中に生命が発達してきて、生命がそれぞれの身体のセンサーに応じた空間を見ている…ではなくて!
「こういう空間の構造はこういう身体の形態を伴う」ということ。
Ricardoさん:三体ではどういうふうにしたら身体と空間を一体として見られるのかなというのを模索しているんです。
さっき言ったように、環世界というワードを発達や生命進化に適用してどんどん遡って見ていったときに、環世界というワードを拡大解釈して、空間が「科学的な世界観で見るような宇宙空間の箱庭の中に、人間が宇宙を見ている」のではなくて、人間が捉えている空間構造は生命進化における身体の空間構造と共に発展してきた空間構造の結果なんだと思っています。
ヌーソロージー的な言い方をすると生命進化の過程で展開してきた空間構造の全てが人間次元に凝縮化されてる、とも言えそうです。
とはいえ、そう断言しているわけではなく、そういうふうに捉えると身体と空間の一体性が見えるかなと。
通常言われている環世界という視点で空間を捉えると、その環世界から抜け出せないけれど、空間側から捉えるともっと大きな高次の領域まで三体は捉えられそうな気がしますね。
Ricardoさん:そうそうそう。ある箱庭の中の話で済ませずに、通常の環世界という概念をもっと拡大解釈して、「空間性と身体性が連動していることを表しているのが環世界」という視点で見れば、だから身体が変化してきたし、だから空間構造が複雑になってきた、だから今の人間が見ている空間構造になったんだ、というものの見方ができるかなと。
もしかしたら奥行きの発生と生命進化における身体の変化というのは関係があるんじゃないかなと、そう思えるんです。
今の人間の身体には生命進化の形態がたたみ込まれているならば、この空間にも生命進化で獲得してきた空間構造がたたみ込まれているんじゃないかというのが、空間側から見た奥行き発生と身体の発生の関係性の話です。
この話の流れで、こういう質問をするのはものすごく恥ずかしいのですが…(笑)
natan:スピリチュアルの世界では、私たちはバーチャルリアリティの世界にいて、こういう世界を見せられているといったような話がよくあるじゃないですか。
その話と三体の話があまりにもかけ離れていて…。
空間そのものが自分の身体だし、バーチャルリアリティの概念は自分の中ではもうあり得ないなと感じました(笑)
はははは。
三体のように空間をこうやって捉えている人っていないですよ、きっと。
うんうん、あんまりね、空間構造と身体構造を紐付けて、直接的に語る人っていないですよね。
この話はかなり衝撃的だと思いますよ(笑)
こういう見方をすると、世界は違って見えるかなとそういう話です(笑)
幼児の成長における奥行きの幅化
そうやって進化の過程をふり返ってきましたけど、幼児期においてはどのように世界観が変わってきたかというと…
Ricardoさん:新生児期から立ち上がるまでが一番変化が大きいところで、新生児として生まれた段階から歩けるようになるまでは、構造の反復が一番目立つところなんですね。
立ち上がった段階から徐々に本格的な自我形成が始まっていくんですけど。
ヌーソロジーでは出生するまでの胎内空間が元止揚空間だという言い方をするんですけど、元止揚空間の部分が出生後の人間においては、出生したタイミングから立ち上がって歩くまでの約一年の間に身体行動という形に射影されて構造の反復が凝縮されているんですね。
そして、凝縮されているということは、人間意識における空間構造の基礎をこの段階で作っているわけですよ。
さっき説明したような生命進化をたどるような空間構造の発展が、当然新生児から立ち上がるまでの期間に射影されていて、仰向けで寝ている赤ちゃんは寝返りもうてない状態で、世界を一方的にしか見ていないわけです。
そうした段階においては、自分からは動けず、授乳されるのを待つだけ、できることは泣くことだけ、排泄することだけなんです。
そういった姿もAnimandalaが指摘するように、エディアカラの生物群のように、ただ漂うだけの身体形態に似ているように見えます。
それが寝返りをうつことで、仰向けに見ていた世界観から下も向くことができるようになることで空間構造の次元が上がるわけですよ。
初期の前と後ろですね。
身体の背面が前化(空間化した前を後ろにも適用)します(下記図①)。
Ricardoさん:その次には首がすわって、肘とひざを使ったずりずりハイハイをするようになると、身体の前と前化した身体の背後(大人から見ると上と下)しか見えなかった空間観から、這って脊椎方向に動けるようになることで動物身体的な(脊椎方向の)「前」に向かうようになるんです。
「前」に向かうということは、それまで持続的な奥行きだったであろう空間のところに、今度は奥自体が幅化してそこに進むという行動様式が、幅化された奥という環世界の構造を醸し出していくわけです。(図①)
そして、ずりずりハイハイから四つ足ハイハイになると、高さという空間構造が出てきて(図②)、立ち上がることでより高さという空間構造が強化されて、ここにきて初めて人間らしい三次元空間が出来上がってくるんですね(図③)。
時間を意識する身体構造はあるものの、まだ時間は意識上に登ってきておらず、空間性としては三次元空間というのを体に構造として持っている状態になって、そこから潜在化した人間はψ10の感性を花開いていくような幼児期として成長していきます。
その後の成長の基礎となるものが0歳~1歳までの間に表されているんじゃないかなと思います。
次回につづく…
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