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【三体思想】第三部★最終回★三体が捉える宇宙観&対談の感想について

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natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今回は、三体思想の対談最後の総括として、Ricardoさんに三体が捉える宇宙観についてお話いただきました。

▼ 前回までのお話 ▼

三体が捉える宇宙観

科学史や生命史などの情報が思考のヒントになる

natan
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Ricardoさんのヌーソロジー解釈として「精神のゆりかご」というお話が出ましたが、三体としては「前」から始まり「前」に戻ってきた結果、どのような宇宙観で全体を捉えていますか?

Ricardoさん
Ricardoさん

三体はヌーソロジーのような巨大な観察子構造までは至っていませんが、「前」から始まって「前」に戻るという思考ルートをこれまで説明してきました。

Ricardoさん:その思考ルートをたどるために科学的な発達・成長と生命進化をたどってきましたが、生命史において人類がどう変化してきたのかを足がかりにして思考を進め、今現在存在している自己という「私」の前における空間を解析してきました。

三体の思考ルート

Ricardoさん:ヌーソロジーの半田さんとAnimandalaの天海ヒロさんの対談でも話されていたんですが、半田さんはオコツト情報では恐竜の時代や生命進化など、科学史でいうような時間観などない、と言っていて、Animandalaもヌーソロジーと同様には考えているけれど、科学史や生命史などの情報には思考するためのヒントがたくさんあるから、それを足がかりにして思考していくんですね。

そして、三体もAnimandalaと同様に客観的事実と言われるものを足がかりにして、個人の成長も含めて思索していくんです。

Ricardoさん:このように思考して改めて自分の「前」に戻ってきてみると、この「前」に現れている宇宙は一体何なのか?と考えたとき、これはトンデモに聞こえるかもしれませんが、宇宙とはこの「前」が起源で、この「前」を起点にして全てが発生したのではないだろうかと思えてくるんですね。

自我以前、生命以前のワタシの「前」ですね。

自我という「私」の発生に至るまでには大きな自己と他者の間に存在するこの「前」の空間がこの宇宙、世界の起点で、ここから全てが発生して展開しているんじゃないかと思うんです。

その発生の現れの一つとして、今の人間が持っている時間観(時空観)という展開の中で、科学史や生命史でいわれるような進化の過程が表されたと解釈されているのではないだろうかと。

三体の思考ルートをたどってきた果てに見えてくる「前」は宇宙の起源であって、この起源が時空として引き伸ばされていく、客体化されていくと、科学史や生命史の時代背景として現れてくるのではないかなと思うんです。

natan
natan

引き伸ばすというのは、ヌーソロジーでいう幅化ですね?

Ricardoさん:そうです。ヌーソロジーでいうところの持続空間が溶け出したのが幅化した時間なんですよね。

幅化した空間が時空という意味で、持続空間である「前」としての「四次元空間」が、対象から自分へ向かう方向性「四次元時空」になってしまうんです。

natan
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ヌースビギナーズラック#6でやっていましたね。

Ricardoさん:そうそうそう。そういう意味でいうと、三体の思考ルートをたどることで、四次元時空として見ている「前」が四次元空間として見えるようになってくると思うんです。

そう見えるようになったとき、宇宙の起源は「前」にあるということだけではなく、自我としてではなく、身体と空間がともに発達してきて、そこに自我として意識の目が生まれてくるという三つ巴の一体構造としての精神があるという見方もできるようになると思うんです。

精神の目(芽)について

natan
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これまでのお話を聞いて、私もトンデモな感想を思いついたんですが…。精神としての自己が「自分という宇宙を見たかったのかな」とちょっと思ったんです。

宇宙
natan
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自分という宇宙を幅化することで、歴史としてそれを見るというか。うまく表現できないんですけど、この意味をなんとなく分かっていただけますか?(笑)

Ricardoさん
Ricardoさん

分かります、分かります。三体の解説にもあるように、身体を通して空間を見たとき、それを串刺して見ている視線があるだろうという話をしました。

Ricardoさん:その串刺している視点は時空間においては「精神の目(芽)」として現れているような気がするんです。

この精神の目として現れた空間としての眼差しが、その目を基底にしてそこから一体となった空間と身体の構造を成長させて、今度はそれを基底にして空間と身体の間に自我という意識が発達してきて、空間と身体における世界という舞台が起こってくるんです。

その目はそれをひたすら眼差していると思うんです。

だから、その精神の目はこういう言い方が正しいか分かりませんが「見たかった」んだと思うんです、シンプルに。

たとえば、人生の終わりを迎えたときに「いいもの見た」という形で終わるのかなと。

その人生の中で普段は巡り会えないような、自己の環世界の外にいる本当の他者にいかに触れられるかという課題も、もしかしたらあるのかもしれないなと。

その他者との触れ合いがあった瞬間に大きな喜びとなって「いいもの見た=本当の他者と出会えた」というふうになるのかなと思うんです。

natan
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心から繋がりあえる他者というイメージですか?

Ricardoさん:人間の心理的な部分ではそうかもしれないし、さらにその先のもっと深いところかもしれない。

受動意識仮説でいわれるような、人間の意識は受動的であるという説もあながち間違いではないと思っています。

どこに意識をフォーカスするかの話だと思うんです。

Ricardoさん:他我化されすぎてしまう意識にフォーカスしてしまうと受動的だし、そこからいかに持続的な奥行きを見出していくかという意識にフォーカスすれば、世界の見え方は違ってくるだろうし。

そういった過程もずっと精神の目はひたすら見ているわけですよ。

その中で、構造的になかなか出会えない他者の存在をいかに感じられるか。

自我意識と他我意識は互いにフィルターがかかっているので、時空というベールのさらに向こう側に本当の他者はいるんです。最初は幾重にもベールがかかった状態で、他者など全然見えない状態なんだと思います。

そこから自我を確立させて、他我としての他者を理解できるように自我を成長させ、そして他者と分かりあえるところまでくると、他者のベールを少し垣間見えるようになってくるんです。

さらにその奥にある時空のベールも少し剥がした先に、もしかしたら本当の他者の目というのが見えてくるのかもしれない。

natan
natan

大きな自己にとっては「自分の宇宙を見たかった」、そして小さな精神の目としての自己にとっては「一人の人生という宇宙をのぞき見たかった」、そんな印象を受けました。

私の旧ブログタイトル『小さくて大きな私の宇宙』に繋がるなと(笑)

Ricardoさん
Ricardoさん

あ~、なるほど、上手いですね!そうそう(笑)

natan
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自己にも階層性があるのかなって。

Ricardoさん
Ricardoさん

そうだと思いますよ。先程「精神のゆりかご」という話の中でも、人生における課題にちゃんと向き合わないといけないと話しましたが、natanさんのブログで書かれている自己内観や自己受容は、自分の人生と向き合うためのノウハウではありますよね。

三体的な自己内観は「前」を向くこと

natan
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ありがとうございます!ここで私のブログの話もしてくださるなんて(笑)

natan:実際やらなきゃいけないことって地味なんですよね。

しかも、本当の他者に出会うまでには、一回自分の深いところに潜って自分と向き合ってから他者の方へ向かわなければいけないので、本当の他者は遠いなと思います。

Ricardoさん:そうそう。他者にばかり目を向けていくと客体化しすぎてしまうし、他者と向き合うために自己内観しなければいけないし、三体的にはしっかり自分の「前」を分析することが大切なんですよ。

「前」を見るということは自分を分析することでもあるので、三体的な自己内観は「前」を向くことなんですよね。

natan
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それは三体は環世界という概念を持っているから「前」を見るのでしょうか?

Ricardoさん:そうです。環世界という概念だけにとどまらず、三体は身体と空間の狭間に自我が現れていると考えるので、それが空間として表されているのが自分の環世界だし、身体として表されているのが自分の身体なんです。

でも、自我の本体は「前」にあると思っているので、自分の半身探しの話は、三体的にいうと身体と空間のことなんですよ。

だから、常に身体と化した自分は、本来ずっと半身である空間側と一緒になって成長していきている。

それにも関わらず、自分は身体だと思いこむことでその半身が見えなくなってしまったんです。

だけど、この半身は生まれてこのかた離れたことはないんです。

身体と空間のそれぞれの半身がともに見えると、自我の位置は身体と空間の間だと気づくんですよね。

意識と身体と空間の三位一体_修正

Ricardoさん:自分がその位置にいることを見出し、さらにはその自我を蝶番にして身体と空間が現れている自分という存在を知ると、身体と空間と自我は一つだと理解できるんじゃないかなと思ってます。

そのように世界を見ていきたいのが三体の思想なんです。

natan
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三体は円が三つ横並びになっていますが、本来の自我の位置ってヌーソロジーの円心の中心、ヴェシカパイシスの「魚の浮き袋」の部分ですよね。

ヴェシカパイシス
Ricardoさん
Ricardoさん

そうとも言えそうですね。そこを浮き袋にして水面に浮上して三体の構造を思い出そうよと。

natan
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わー!いい表現ですね、それ(笑)浮き袋にして水面に浮上!

Ricardoさん
Ricardoさん

いや、「浮き袋」は半田さんがレクチャーで言ってましたよ(笑)三次元空間という水の中から魚の浮き袋で浮上して、次元両生類になっていこうよと。

natan
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そうなんですね(笑)でも、この表現すごくいいですね!〆の話にピッタリです!!

テキスト対談を終えて

natan
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以上で三体思想トライアドローンの対談を終了したいと思います。最後にこの対談を通して感じた感想などをお聞かせください。

Ricardoさん:ここ最近ようやく三体の全体像がまとまってきて、さらにNOOS WAVEのインタビューやnatanさんとの対談を通して三体を語らせてもらい、より自分の中でも三体の全体像が具体的にまとまってきたんですよね。

それがすごくありがたくて、NOOS WAVEにもnatanさんにもすごく感謝しています。

また、主観の中でもやもや考えていたことが、みなさんの視線が交わって刺さったり、他者に向けて話すという言語化という行為を通して、もやもやしていた思考が客体化されて、より具体的なイメージや言葉としてアウトプットされて形になっていくのかなと思いました。

そういう意味でも、自我が客体化していく作用のように、思考も客体化していくのかなと。

思考は客体化しないと形や言葉にならないですよね。

こういうところにも客体化の作用は現れているのかなと思いました。

natan:はい、ありがとうございました。

今回、三体思想トライアドローンのお話を伺って、空間に対して当たり前に感じていたことを「この現象は私の身体のどういう現れなんだろう?」と空間の変化を身体と紐付けて考えられるようになりました。

何がどういう現れになるということは分かりませんが、そうやって紐付けて考えられるような意識を持てるようになったことはすごく良かったなと思っています。

私は空間を自分の半身だと認識していて、もっともっと空間との接点を持ちたいと思っているので、本当の自分とつながるために三体の思想に出会えて本当に良かったなと思っています。

あと、私もブログでは心の問題を解決して、現実に足を着けて生きていくことが大事、中和が大事だよという話をお伝えしているのですが、リカルドさんも子育てを通して中和の大切さを実感されて、この幼少期の客体化の仕方がその後の人生の方向性を作っていくので、この三体の考えが早く世の中に広まるといいなと心から思いました。

なぜなら、これができれば心の問題解決さえもいらなくなるかもしれないので。

Ricardoさん
Ricardoさん

まだ育児法とか体系化していないのであれですが、ベースにはなるかなと思います。

natan:そうですね。一人でも多くの親御さんがこの三体の思想を通して中和を大事にする意識、そして上手に客体化させる意識を持てたらいいなと思っています。

あと、私はどうしても感覚ベースでヌースの話をしてしまうのですが、私の構築しているヌーソロジーと三体は接点が多くあり、私のブログで三体をお伝えすることで、その世界観をより構造的にイメージしてもらえるのではないかなと思い、私にとってもとてもありがたいコラボ企画だったなと思っています。

私もこれからもっと自分が構築しているヌースを探求し解像度を上げて、また別の角度から三体とコラボしてやっていけたらいいなと思っていますので…、これからもよろしくお願いします!!(笑)

「またいつかコラボしましょうね」ではなく、強制的に次の予約を入れさせていただきます(笑)

Ricardoさん
Ricardoさん

あはははは(笑)よろしくお願いします!!

natan
natan

今後のコラボも楽しみです♪今回は本当に素晴らしい企画をありがとうございました!!!

以上、Ricardoさんとのテキスト対談終了でございます\(^o^)/

皆さま、読んでいただきありがとうございました♪

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