私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は三体思想を理解する上で大切な「環世界」についてのお話です。
空間の階層性
空間にも階層性がある
こういうふうに反復構造をくり返すことを考えていくと、一概に「地球の空間は人間が見ているように一つしかない」ではなく、空間にも階層性があるのではないだろうかと捉える方がどちらかというと自然かなと考えています。
Ricardoさん:これまでお話した三体の思考ルートのように、「前」に始まって「前」に戻るということにもまさに当てはまるんですけど、どうしても私たちは現代人の人間意識が持っている空間認識によって空間を捉えてしまいますけど…。
それは中和状態の空間認識ということですか?
Ricardoさん:そうですね、ヌーソロジーでいうところの中和された空間のことですけども、そういう構造観は、実はいろんな階層によって空間の構造が違うんじゃないかと見た方が自然に思えてきます。
人間の意識空間、いわゆる今私たちが見ている時空間の背景には、人体が構造として持っている空間があるんじゃないかなって。
人体が構造として持っている空間の背景には、生命が作り上げてきた空間構造があるんじゃないかなと。
生命の進化の過程で、いろんな生命の体の形を持って築き上げてきた生命の空間構造があるんじゃないかな。
生命の空間構造の背景には、空間構造の基盤となるような地球の空間構造があるんじゃないかなと。
Ricardoさん:上記の図は空間の階層性を表現したものになります。
一般的な科学の概念でいうと、地球は空間としては大きいですけど、自我の背景にある人体や生命の空間は過去のものになってくるし、原子や素粒子になってくるとミクロの話になってくるのでこういう図にはなり得ないんですけども…。
でも背景として存在しているという意味でいえば、自我の空間にとって背景空間の方が素地にあるんだとすれば、その背景にある空間の方が大きな構造のように思えてきます。
それをこの図で表現しています。
住宅構造で見る空間構造
だけどその背景空間は、たとえばフィルターをどんどん剥がすようにしていくと、今の人間意識が捉えている空間構造とは全く違う空間概念であって…
Ricardoさん:地球空間が住宅の基盤だとすれば、生命空間は建物の構造(梁とか壁など)、人体空間は内部設備整えただけの状態、人間意識の空間については壁紙も貼ってあって、家具家財やカーテンも入っている、いわゆる生活空間なんですけども…
Ricardoさん:今の私たちは住宅構造って傍から見ることができているのでそれは理解しているんですが、さきほどの説明の上では人間意識は生活空間そのものなので、人間意識からするとその背景にある空間構造は知覚し得ないんです。
ようは、自我の意識を持っているからこそ、カーテンも家具家財も揃った空間構造として、今目の前の空間は現れていますけど、家具家財、カーテン、壁紙は自我そのものでもあるので、それを剥がしたら人間意識でその空間性を捉えることはできなくなるのではないだろうかと。
ましてや生命空間、地球空間はぜんぜん概念もカタチも違う空間性なんじゃないかなと思うんです。
ということは、現代の人間が捉えている空間というのは、一様にこのような構造として宇宙が生まれたときから家具家財までも含めた構造としての空間性があるわけではなくて、全く違う基礎概念があって、その上に惑星空間があって、生命空間があって、人体空間があって、その上に人間の意識空間が重なるようにして今の目の前の空間になっているんじゃないかなと考えています。
環世界について
あの、ちょっとお話がそれるかもしれないですが…
natan:今のスピリチュアルの世界では、「世界=私だ!」みたいな表現ってありますよね?
けれども、今の話を聞くと、次元階層がそれぞれあって、その階層は人間の自我では知り得ない空間の構造になっているというこの概念は、今までにない新鮮な概念だなって思うんです。
ヌーソロジーがベースになっているとは思うんですけど、スピリチュアルで言われている「世界=私だ!」という考えで終わってしまうような世界観ではない、という印象を受けたんですけど…。
Ricardoさん:ヒントになっているのは、「環世界」という概念なんですよね。
環世界というのはユクスキュルというドイツの哲学者が提唱した概念で、ユクスキュル自体は生物の環世界ということで、生物種が違えばその身体性に応じて見ている世界観が違うということを提唱している概念なんですが、三体ではそれを幅広く拡大解釈して、ある状態における空間性というのはそのときの身体性に伴うはずなんです。
ようは今の私たちが自我意識を備えて見ているからこそ、今私たちが見ているこの空間は今のように知覚し得る空間性であって、今の自我意識を備えていない状態、たとえば新生児だったり幼児期の初期段階では当然別の世界観があるはずなんです。
Ricardoさん:さらには、動物には人間とは全く違う空間性、世界観を持っているわけなので、そうやって遡っていくと、空間が階層的に出来上がってきて今の人間意識で見る空間性や世界観というものを作り上げてきたのではないか、というふうに見るほうが自然に思えてくるんです。
だから、スピリチュアルで言うような「世界=私」というのが成り立ち得ないんじゃないかなと思えてきますよね(笑)
natan:うんうん。スピリチュアルで言われていることは、人間の意識から結局出られていないんじゃないかなとちょっと思ったんです。
Ricardo:そうそうそう。
あくまで自我意識という範囲の中で言っている話だとすれば、それは非常に狭い空間性の話をしているにとどまっていて、空間性の背景のことまで考えれば、「意識=空間」で空間にいかに作用させるかみたいな話って、ちょっと不自然だなと思いますね。
うんうんうん。新鮮です、この概念(笑)
あははは。
自我意識空間を抜けだしたい!
私が構築しているヌーソロジーというのは、自我意識に焦点を当てて話をしているんですけど、私が構築しているものは階層性の図でいうところの自我空間で、サイトで取り上げているのは、いかにこの自我空間を抜け出して新しい空間を知覚するか、ということをやっているんですよね。
その先に人体空間という三体が担当するような空間性が待ち構えている、そんなイメージでよろしいですか?
Ricardoさん:そうですね。natanさんの記事にあるような意識発達とか、どういう段階を経て成長していくか、あるいは過去の課題に立ち戻ってどうやって解決していくかみたいな話は、空間構造でいえば自我空間の中の話だと思うんですよ。
その背景には人体の空間における構造性も当然ながら影響を受けていると思うんですけど、三体としては主に人間意識空間、人体空間、生命空間といったところの意識や身体と空間の関係性を追っています。
さらにその背景となる地球空間、原子空間、素粒子空間といったところをヌーソロジーは解説してくれているのかなと思います。
そうなるとヌーソロジーの視点って、自我意識を持っている私たち人間にとっては、はるか高次領域からの視点というふうに感じますね(笑)
そうですね。半田さんのオコツト交信の中に、オコツトが「人間の自我の空間は小さすぎて見えない」と言った話がありましたが、たしかに大きな素粒子構造の中に原子空間があって、地球空間があって、生命空間があって…というふうに捉えると、「あ、自我の空間って小さいんだな」ってちょっと思いますね。
うんうん、思いますよね。そりゃ見えないよねって思うくらい、「あ~人間ってちっちゃいな」って思いますね(笑)ちょっと表現違いますけど(笑)
あははは。まぁ、ある意味「宇宙の中のちっぽけな存在」といった表現は客体的な表現ではありますけど、こういう階層性という考えでいえば、自我空間は全体からするとほんの一部なんじゃないかなとは思いますね。
ここから抜け出そうと今、奮闘しているわけですね、私たちは。
まぁ、これを抜け出した、突き抜けた視座をまずは見出していくという感じですよね。
うんうん、そうですよね。まずはそこからですよね。
次回につづく…
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