私の宇宙からこんにちは、natanです。
これから、私たちはなぜこの時代に生きているのか、シリーズでお話していきたいと思います。
これまで、土星紀までさかのぼって、シュタイナー宇宙論の骨格のお話をしてきました。
そしてなぜ、土星紀という果てしなく遠い時代からお話をしてきたかというと、人類の起源が土星紀までさかのぼるからです。
この人間の起源が、現在の私たち人間のあり方にもさまざmな影響を与えています。
私たちは今、ポスト・アトランティス期という時空を生きています。
今日はこれまでのお話をベースに、私たちがなぜ今この時代に生きているのか?
人類が目指す目標とは何なのか?
そのあたりについて、シリーズでお話していきたいと思います。
ポスト・アトランティス期における人類の目標
ルドルフ・シュタイナーは、現在における人類進化の根本問題を探るため、宇宙全体の構造や進化過程を探求し、その骨格を提示しました。
そして、ポスト・アトランティス期における人類の大きな三つの課題を探しだしました。
②と③は説明しなくても理解できるかと思います。
問題は①!
これまでシュタイナー宇宙論の中で、太陽系の成長とともに、人間に各機能が付与されてきたとお話しました。
真の自我性の獲得
そして今、この「地球紀」とよばれる宇宙紀で、私たち人間は「自我性」を付与されました。
しかし「自我」と一言でいっても、宇宙が人間に求める自我性とは、私たちが理解している自我とは大きく異なります。
宇宙が求めている自我とは「真の自我性」。
その真の自我性の形成こそ、このポスト・アトランティス期だけでなく、地球紀における最も重要な人類進化の目標です。
なぜなら、地球紀とは宇宙進化全体の中で、人間に自我性を与え、その自我性を「愛」と「自由」に貫かれた「真の自我性」へと高めていくことを目標としているからです。
「愛」と「自由」。
このふたつが、今後のキーポイントになるので、とりあえず言葉だけ覚えておいてくださいね。
真の自我性は、仏陀が説いた慈悲の教えや、イエスが語った愛の教えとも関連しています。
つまり、人類の歴史の中で起こってきたことは、人類進化という観点で捉えるならば、
人類の歴史=「真の自我性」へ向けた人類の取り組み
として理解することができます。
低次自我とは
自我とは「私」という意識をもたらします。
私たちは通常、「私」という自我意識を持っており、この意識のことを「自我」だと思っています。
しかしそれは「真の自我性」ではない、とシュタイナーは言います。
通常の自我意識はいわば、
低次の自我意識
だそうです。
そして、「真の自我性」とは、
私たちの魂を宇宙創造の根源である「霊」と接続させ、魂の中核を霊で満たすこと
を意味するそうです。
真の自我は霊を宿す器
以前もお話しましたが、
自我とは宇宙の創造力の根源である「霊」を宿す器
だとご紹介しました。
ここでいう「霊」とは、
だと思っていただいて構いません。
よって「真の自我性」とは、
宇宙の創造力を受容するための器
ということになります。
その器を宇宙的な力で満たすことができるそうです。
高次自我とは
私たちにとって自我とは、「私は私である」という意識状態のことだと思っています。
ですが「私は私である」という意識は、自我の存在そのものがもたらしているのであり、シュタイナーいわく、
自我には本来、別の特性がある。
と言います。
自我とは本当の意味において、
これが自我の本当の特性だそうです。
真の自我性=高次の自我
と言い換えることもできます。
なので「低次の自我意識」は、まだまだ本当の自我の特性を発揮できていない状態にある、ということになります。
低次自我が宇宙の力を受容できない理由
なぜ「低次の自我」は、宇宙の創造力を受容できないのでしょうか?
それはシュタイナーによれば、
低次の自我はまだ未成熟な魂の働きに取り囲まれており、霊を宿す準備ができていない。
とのこと。
シュタイナーの下記書籍で、強調して書かれていることがあります。
▼ 参考文献 ▼
それは…、
急な霊的目覚めはとても危険である。
ということ。
今日のお話と絡めて、その言葉の意味を考えてみると、自分が持っている自我はまだ「低次の自我(未成熟な魂)」のため、その状態で急な霊的目覚めを体験すると、下級霊などよろしくない存在とのつながりを持ってしまうことがあるそうです。
それだけでなく、自分自身の魂の準備ができていないため、その状態で宇宙の力を受け取ると、精神的におかしくなってしまうそうです。
ヌーソロジーの半田さんもOCOTと出会う前、タイタンからのチャネリングがあったそうですが、そのときいろんなものを見せられて発狂し、精神病院に入院させられてしまった、という伝説を持っています(笑)
だから、低次の自我はまだまだ未熟なのです…。
聖杯としての高次自我
キリスト教の伝統の中で、「聖杯」という言葉があります。
この「聖杯」とは、
低次の自我の働きを浄化し、「霊を満たす準備のできた魂」
のことに他なりません。
「真の自我性」が形成されると、その聖杯という名の器にその後、霊(宇宙的な力)そのものが流れ込んでくるそうです。
この霊(宇宙的な力)の流入には限りがありません。
その意味で、
人間の自我は将来、非常に霊の高み、宇宙の高みまで人間を導いてくれるもの
だそうです。
ただし、くり返しになりますが…、
急な霊的目覚めは大変危険です!
なので、地球紀という膨大な時間をかけて、自我を成長させていくのが人類の目標であり、その中で忘れ去られた霊性を思い出すのが、このポスト・アトランティス期の目標であるということになります。
まとめ
再度、人類の三つの目標を記します↓
私たち一人ひとりに、霊(宇宙的な力)を宿す「真の自我性」の”もと”となるものが与えられています。
この「真の自我性」こそ、もっとも深い意味で「個の尊厳」や「人間の平等性」の源泉になります。
次回は「真の自我性」について、もうすこし深堀りしてみたいと思います。
次回のお楽しみに♪
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