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【シュタイナー】自我成長の歴史と今後の日本の役割について

identityアイキャッチ 基礎知識&人類の課題(シュタイナー思想)
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は、自我の成長の歴史を見ていきたいと思います。

太古における自我の特徴

自我とは、「私は私である」という意識状態のことをいいます。

この自我は、地球紀において人間に付与された機能なので、私たち現人類だけでなく、はるか昔のレムリアやアトランティス時代の人間にも付与されてきました。

地球紀の進化08

ただ、その太古の諸先輩方(笑)と、私たち人類が持っている自我の特徴が一緒かというと、そうではなく、じつは太古の諸先輩方は私たち人類とは違って、まだ宇宙的な力や宇宙の創造の根源である神々との繋がりを持っていたそうです。

その状態で、諸先輩方は自我を付与されてたそうです。

スピリチュアル

宇宙とつながりを持っている中での自我の働きは、現人類が持っている「孤立感」「利己的」な意識から生まれるエゴイズムの力はさほど強くなく、いわば

集合意識の力に従って行動する

そのような特徴が強かったようです。

こう聞くと、秩序正しくみんなが一つの行動を取るというような、今の私たちが目指すべき姿のように感じられますが、案外そうでもないようです。

逆の視点から見てみると…、

個人としての「自由意思」はあまりなかった

ようです。

宇宙創造の根源である神々も、私たちと同じように自我を持っているそうですが、その神々でさえも

意思や行動において根源の宇宙叡智に従うだけの存在

だそうです。

ですが、けっしてその状態が不幸というわけではなく、それはそれで「至福」の状態らしいです。

そう考えると、私たち現人類と太古の諸先輩方の大きな違いは…、

自我において個としての「自由意志」があるかないか

そんな違いがあるように思えます。

現人類の自我の特徴

民族性をまとった自我

私たち人類に自我が付与され、その自我が一番最初に形となって現れたとき、

民族性をまとった自我

として現れたそうです。

自我は「私は私である」という意識状態のことですが、昔は「私は○○という民族・種族である」という意識の方が強かったみたいです。

個人としての自由は禁止され、民族・種族の一員として個の人生を捧げる。

国のため、王様のために命を捧げる。

そのような民族としての自我性が強かったようです。

戦争

個としての自我

そしてこの民族性をまとった自我が、時代を追うごとに、

個人としての自我性

に変化してきました。

これまで民族の一員として自分の一生を捧げてきた人々が、「自由になりたい!」「自分だけの人生を生きたい!」という想いに切り替わっていきます。

natan
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アメリカは「自由の国」といわれますが、個人としての自我性が強く出ている国としても捉えることができますね。

「自由」という概念の誕生

世界的にみて、「自由」という言葉・考え方が誕生したのは、今からたった約200年前だそうです。

それまでの人類は、「農民の子供なら将来その子は農民になる」「商人の子供なら商人」など、その家系に産まれたときから、すでに将来進む道は決まっていました。

それを受け継ぐ当の本人には「嫌だな~」という気持ちはあったかもしれませんが、逆らうことはできませんでした。

しかし、約200年前にヨーロッパなど西洋で「自由」という概念が誕生し、人々は個としての自由を求めるようになりました。

日本では「自由」という概念を知るに至ったのは、今からたった約100年くらい前ことだそうでひらめき電球

あのみんな大好き、福沢諭吉が西洋からこの日本へ「自由」を輸入してきたそうです。

福沢諭吉
natan
natan

ありがとう!さすが一万円札の顔!!

現代人の自我の特徴

今の時代は「民族としての自我性」「個としての自我性」が入り混じっています。

民族としての自我性が強いと民族同士の争いになり、個としての自我性が強いと個人同士の争いが増える。

どちらに傾いても争いになってしまいます。

それが人間存在の難しいところですね。

日本人の自我の特徴

ですが、じつはこの「民族としての自我性」「個としての自我性」を、バランスよく持っている国があるそうです。

その国は…、

日本!!

日本
natan
natan

やりました!日本ですよ(゚∀゚ノノ゙パチパチパチ

さすが世界の雛形!日出ずる国日本!神の国日本!

ヌーソロジーでは冥王星のOCOTを通して、半田さんが面白いことをおっしゃっているんです。

半田広宣さん
半田広宣さん

これからは日本が重要になる。

日本が重要といっても、日本人ではなく、「日本語の精神」が重要になる。

日本語の精神とは?

日本語の精神とは、一体どういう意味なのでしょうか?

英語であれはかならず、文章の頭に「私は~、の”I”」という主語がつきますよね。

しかし、日本語には主語がつきません。

わざわざ、

私はテレビを見ている。

私は今、スマホをいじっている。

なんて言いませんよね。

「テレビ見てる」「スマホいじってる」という主語のない言葉を使うのが普通です。

この主語がない状態、「私」という存在がいない、この精神が自我でいう「民族としての自我性」、言い換えれば…、

集合意識(全体性)としての自我性

になるかと思います。

OCOT
OCOT

日本語は、その精神を表している。

と、OCOTは言っていたそうです。

日本語だけでなく、日本人は誰に何を言われなくても列を作って並んだり、無意識レベルで規律を守り、他者を思いやったりしますよね。

そういった精神が、今後の人類進化に重要だそうです。

日本人の意識の悪い面もありますが、内容が煩雑になるので、今回はあえて触れません。

まとめ

今は日本も海外に侵食されて、日本人らしさ、日本語の美しさを失いつつあります。

ですが…、

今こそ日本らしさを復活させるべし!

と私は考えています。

日本が今後の人類の進化において重要な役目を果たすと思うので、その時代をもしかしたらこの目で見られるかもしれない!と思い、ワクワクしています。

関連情報として、日本がどのように海外に侵食されていったかの歴史は、下記サイトで詳細に掲載していますので、ご興味ある方はどうぞ♪

次回もお楽しみに♪

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