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ヌーソロジーの立ち位置について

哲学 ヌーソロジー
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は、ヌーソロジーを学び始めたばかりの方に向けて、基本情報となるヌーソロジーの立ち位置についてお話していきたいと思います。

哲学は学問の父

哲学を端的に表現すと、「真理を探求する学問」と言えます。

真理を探求するとは…

世界とは?

自然とは?

社会とは?

人生とは?

私とは?

心とは?

といったように、あらゆるものの本質や、そこに潜む普遍性を探求していくことを言います。

これら真理を探求する学問を「哲学」と言い、この哲学からさまざまな学問が生まれていきました。

「自然とは?」から生まれた自然科学。

「心とは?」から生まれた心理学。

「社会とは?」から生まれた社会学などなど。

よって、哲学は学問の父、みたいな感じですね。

科学と宗教

科学について

哲学から生まれた学問の中で、とりわけ西洋で発展を遂げたのが「自然科学」です。

自然に対して関心を向けることによって、惑星の運行に興味を持って探求していけば、それは「天文学」になり、人体に興味を持って探求していけば、それが「医学」となり、建物の高さや長さを調べることによって出てきた数や角度の探求から「数学」が生まれました。

近代になると、実験と測定によって、自然科学は哲学から独立することになりました。

これまでは頭の中で考えていたものを、実験の結果を測定(数値に置きかえる)して、目に見える形にすることで、自然科学は驚異的に発展しました。

「世界は何によって構成されているのか?」を問うた場合、科学は

科学者
科学者

世界は物質で構成されている。

という、物質中心の観点を持っています。

宗教について

それとは逆に、

宗教者
宗教者

世界は神が創造したのである!

とするのが宗教であり、物質を扱う科学とは違って、宗教は精神を扱います。

科学と宗教はψ1~ψ2

ヌーソロジーの観察子構造や自己と他者の双対構造をベースに、人間が考える世界の成り立ちの違いについて考えてみると、科学と宗教は裏表の関係性があるということで、自己と他者の双対関係を持っていると言えると思います。

世界の成り立ちについての考え方は科学と宗教では異なるにしろ、世界と私を区別して考えるという点においては、両者は共通していると言えます。

さらにヌーソロジーの空間認識で言えば、世界や宇宙といった「空間にすっぽり包み込まれた私」という認識も共通しています。

なので、科学と宗教を観察子構造に当てはめてみると、ψ1~ψ2に該当すると言えると思います。

宗教と科学

哲学と心理学

哲学の視点

そして、哲学とはあらゆる学問の父であることに加え、物質と精神という人間の基本的成り立ちについて認識する仕方であるため、哲学は科学と宗教を包括しています。

つまり哲学は、科学と宗教の一つ上の次元に位置する、ということです。

そして哲学は、世界の認識を「私」という位置からスタートさせます。

それは、科学と宗教のように世界と私を区別して考えるのではなく、世界と私を接続させて考え、その思考の起点となるのが「私」だということ。

こういった世界認識を持つからこそ、哲学では「その認識は私がそう思っているだけ」という主観という概念が生まれたり、「その認識はみんなが共通して持っている」という客観という概念が生まれるのです。

ヌーソロジーはおもに哲学をベースに、物理学の情報を参考にしながら、世界や空間の認識を変更するところから学習が始まります。

心理学の視点

私がヌーソロジーを学ぶ中で、この視点は忘れてはいけないなと思う点があります。

それは、哲学が属する領域も双対構造を持っている、ということ。

哲学と双対関係を成すものは何かというと、それは「心理学」だと私は考えています。

その理由は、心理学にも「投影」という用語があるように、「世界をそのように見てしまうのは、自分の内側(感情、価値観など)を外側の世界に投影しているからだ」という観点を持っているからです。

心理学も哲学同様、世界の認識が「私」からスタートしています。

私はヌーソロジーに出会う前は心理学を勉強していたため、心理学の知識を持っていたことによって比較的スムーズにヌーソロジーが理解できたという経緯があります。

それに、外側の世界の認識を常に「私」起点から捉えることを実践してきたので、私も知らない間にすでに哲学をしていたのだ、ということを後々になって気がつきました。

心理を探求すると、おのずと哲学の領域に出る。

哲学を探求すると、おのずと心理の領域に出る。

ただ、現行のヌーソロジー解説は心理の部分にあまり触れないので、私が心理も含めた形でヌーソロジーを解説していきたいと思っています。

哲学と心理学はψ3~ψ4

そして、哲学と心理学を観察子構造に当てはめてみると、ψ3~ψ4に該当するかなと思います。

ヌーソロジーは徹底的にψ3~ψ4を解説していますが、その理由は「精神と物質の統合」というヌーソロジーが掲げる目標にもあるように、科学と宗教が位置するψ1~ψ2を抜けだすことがこの時代に求められることだからだと考えます。

哲学と心理学

ヌーソロジーの立ち位置

空間の探求に徹している

長々とお話してきましたが、ここからが今日の本題です。

それでは「ヌーソロジーの立ち位置はどこなのか?」という点について、私なりの考えをお話します。

ヌーソロジーは、世界と私を接続させる視点を持つことで、客観的世界に埋もれていた主観的視点を目覚めさせ、主観と客観の等化を図ります。

それによって生まれてくるのが、「空間それ自体がわたし=《ワタシ》」という意識形態を持つ変換人です。

変換人は人間を超えています。

ニーチェで言えば「超人」のような存在と言えるかもしれません。

人間を蝶の幼虫に例えるならば、変換人は繭の中で変態するための時期を過ごす存在で、ヒトは蝶に該当するかなと思います。

蝶のさなぎ

ヌーソロジーは常に「空間それ自体がわたし」という視点で世界を捉えているので、哲学や心理学よりも一つ上の次元に位置していると言えるかと思います。

さらに最近のヌーソロジーでは、幾何学(ヘキサチューブル)を用いて解説されているのを見ると、やはり空間という霊的な身体の探求に徹しているのではなかろうかと思われます。

ヘキサチューブル

ヌーソロジーの片割れは…?

そしてここでも言えることは、ヌーソロジーが属する領域も双対構造を持っている、ということ。

ヌーソロジーにとって他者存在となるものは、正直言って、現時点では何が該当するのか私には想像がつきません。

きっと、ヌーソロジーとは真逆の宇宙論が存在しているだろうとは思うのですが、その件については人智を超えているので、私にはまったくわかりません。

ただ、この領域は観察子構造で言えばψ5~ψ6に該当すると思うので、ヌーソロジーの片割れも何かしら身体に言及した宇宙論かもしれないなと考えています。

ヌーソロジーと?

まとめ

今日のお話をまとめると、哲学からさまざまな学問が生まれ、その哲学を起点にして、さらに上の世界を目指そうとするのがヌーソロジーだということになります。

観察子構造に沿って一覧にしてみると、とてもわかりやすいかと思います。

ヌーソロジーは結局のところ、哲学も心理学も包括する位置にあるので、やはり感性派ヌーシストさんも哲学をしたほうがいいかなと最近思っています。

学問としての哲学を学ぶのではなく、「哲学する」という行為の方の推奨です。

まずは「自分で考える」ということ。

そして、それで終わりではなく、自分で考えたこと、感じたことを言語化するという作業が必要だと考えます。

哲学は、言葉で世界を構築していきます。

心理に関しても、心理セラピーなどでは自分で感じたことを声に出してセラピストに話すことによって、自分の中を整理していきます。

どちらも言語化を必要とする、という点が共通しています。

感性派の方は「感じて終わり!」ということが多いと思うので、その感じたことを声に出してみたり、紙に書いて文章にしてみるなどの作業を通して、どんどん自分の中を整理していくのが良いと思います。

この言語化を通して、心理学が哲学に通じ、哲学が心理学に通じるということも理解できると思います。

そのステップを踏むことによって、その先に本当のヌーソロジーの世界が待っている!という感じですかね(^^)

地道にコツコツ前に進みましょうね♪

今後は、哲学するために参考になる書籍などもご紹介していきたいと思っているので、ぜひ楽しみに待っていてください。

次回もお楽しみに♪

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