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【三体思想】第二部★腹身体と頭身体

三体思想トライアドローンアイキャッチ02 三体思想トライアドローン
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今回は、ヌーソロジーにもつながる!三体思想にとって重要な概念「腹身体」と「頭身体」についてのお話です!

▼ 前回までのお話 ▼

腹身体と頭身体

Ricardoさん
Ricardoさん

具体的な空間の構成と身体の構成の対応関係をもう少し進めて見てみると、「腹身体」「頭身体」という大きな構造観が人体にはあると思っています。

これまで話してきた空間構成と身体構成は、人間に至るまで、そして動物の中にも出てきたものだと思うんですけど、腹身体と頭身体に至っては人間になって完成した代表的な構造だと思っています。

「腹身体と頭身体とは何か?」というと、動物としての主だった機能構成が揃っているところが消化器官を中心とした腹身体で、自我を持った人間らしさをなし得ている脳を中心とした構成が頭身体なのではないだろうかと。つまり、下記のような見方をしています。

  • 動物的な体=腹身体
  • 人間的な体=頭身体
腹身体と頭身体01

Ricardoさん:腹身体は消化器官を中心とした内臓を骨盤で支え、その下には脚がある、これで腹身体と捉えています。

外界とのインターフェスは口(入口)や肛門(出口)になります。

また外界へのアプローチ器官が脚なんですね。

腹身体と頭身体02

Ricardoさん:一方、頭身体の方は、脳を頭蓋骨の基底部が支え、さらにその下に腕や手という外界に対するアプローチ器官があります。

腹身体と頭身体03

Ricardoさん:こちらも外界とのインターフェースに口があります。

言葉を紡ぐ口ですね。

外界に対する処理器官(動物としての身体が腹身体)と、世界に対するアプローチ器官(人間としての身体が頭身体)がワンセットとなっている構成が人間の中にあるということです。

腹身体の方は摂食することで外界を内部に取り入れて、それを栄養素として取り込み、身体を形つくるものとして処理します。

外界に対するアプローチは、脚で歩く、走るという行動を通して、空間内を移動します。

頭身体の方は、各知覚器官が収集した情報を神経系を通して脳に集約して、世界イメージとして脳で処理しています。

対比させると…

  • 腹身体=外界の物を取り入れてその身にする
  • 頭身体=外界から取り入れた情報を身にする=意識

頭身体は意識における世界イメージを増やしているんです。

外界を処理する器官として脳があって、その外界に対してインプットだけではなくアウトプットとして外界にアプローチする器官としての手があり、物を操作します。

物の状態が変わるということは、「物の情報が変わる」ということです。

知覚器官から得た情報を処理し、外界に対する物の状態を変化させて情報を変えるというような、主に情報に対するアプローチをするのが頭なんですね。

  • 腹身体=時空間に対するアプローチ器官
  • 頭身体=情報空間に対するアプローチ器官

というふうに見ることができるかなと思っています。

反転している腹身体と頭身体

natan
natan

お話を聞いていると、ヌーソロジーの感性と思形みたいな感じですね。

Ricardoさん:そうだと思います。感性は情動として現れるものが意識の上では感情として現れてくるんですが、その情動を成す部分が消化器官まわりや生殖器として、腹身体が生成する情動の元になっていると思います。

頭身体の方は、情報の処理をして、得たものに対して手だけではなく、口で言葉を発するんです。

口は腹身体と頭身体の両方に役割を持つんです。

腹身体としての口は食べ物を食べるという役割をしますが、頭身体では言葉を発声させることで情報を発するんですよね。

ですので、口というのは両方にまたがっている非常に面白い器官なんです。

腹身体としての口はインプットする方向、頭身体としての口はアウトプットする方向、というように反転してるのも面白いですね。

腹身体と頭身体という二つの構造が体の中にあること自体が面白いなと思っています。

腹身体と頭身体04
natan
natan

これが人間しか持っていない構造ということですね?

Ricardoさん
Ricardoさん

そうですね。サルとか類人猿とか中間的な位置づけの動物もいますけど、一般的な四足の動物にはないじゃないですか。

natan
natan

うんうん、動物は腹身体だけなんですね。

Ricardoさん
Ricardoさん

そうそう。もちろん動物は脳はありますが、理性や思考を司る大脳辺縁系が発達しておらず、間脳、小脳のいわゆる本能中心の脳構造ですよね。
そして、精神を持った人間というのは大脳辺縁系が発達した脳が示すように頭身体に関係してくるんじゃないかなと思います。

腹身体と頭身体を見出したきっかけ

natan
natan

腹身体と頭身体を見出したキッカケは何ですか?

Ricardoさん:人間の身体性は動物としての人間と、意識を持った人間の二つを持ち合わせていますが、それは何に由来するのかと思い模索しました。

三体の研究を進めるために、自分の意識や身体感覚、身体が持っているくせなどを自己分析・自己解析していたんですよね。

たとえば、意識のレベルでいうと、よく持ってしまう思考のくせや不安視しがちな思考のくせはどこから由来するのか、いつから持っていたのか、どういうふうに不安視しやすいのか、楽観視しやすいのか、悲観視しやすいのか、などを自己解析していったんです。

特徴的なのは口ぐせですね。

「~じゃん」といったような口ぐせはいつから持っていたのか。

あとは仕草のくせとか。

だいたい誰かしらに影響されているんですよね。

たとえば友人の口ぐせだったり、父親の仕草が身についたり、母親の思考のくせが身についたりなど、いろいろあると思うんですよ。

そうやっていろいろ自己分析していったときに、さらにもっと先の歩き方や手の使い方などもどこから発生しているのか、ずっと解析して解析して解析して、パーツ分けして、どこから由来してるのか考察していったときに、非常に動物的な自分と思考している自分がいるんですよ。

明らかに性質が違うと思ったんですよね。

動物としての人間と、自我を持った意識体としての人間といわれる一般論は、「何を指して言っているんだろう?」と思ったんです。

三体では「現象や構造は何として現れているんだろう?」「これは空間や身体の何かに現れているはずだ」というふうに考えるんです。

「空間や身体の何として現れているのか」と見ていったときに、動物的な身体の特徴というのは腹の部分に由来するものが多いし、思考するものや情報に分類されるものは頭に関係する部分が多かったんですよね。

だからちょっと分類してみようと思ったら腹身体と頭身体という見方ができたんです。

natan
natan

なんか…自己分析のレベルがすごいですよね(笑)
自分に動物的な意識があるなんて私全然気にしたことなかったですよ(笑)

Ricardoさん
Ricardoさん

歩いている脚の感覚、たとえば脚を前に持っていっているその時の膝や腰、背骨の位置や自分の姿勢までも追いかけて分析していたことがあります(笑)

natan
natan

めっちゃストイック!!!(爆笑)

Ricardoさん
Ricardoさん

三体は「前」を追いかけるんですけど、「前」は空間ですが、空間を成り立たせているのは身体でもあるので、やっぱり身体を追いかけないと「前」も分からないかなと思って、自己分析が必要だと思ったんです。

三体の思考ルート

Ricardoさん:いわゆる自分の心理的な自己分析も含まれるんですけど、最初は「自分はなんでいつもこういうことを考えるんだろう」とか端を発した部分はあるんですけど。

三体として「前」を追いかけるんだったら身体も追いかけないとダメだと、心理的な部分も身体的な部分も含めてまずは「素材は自分にある」と思ったので自己分析していったんですよね。

まぁ、子供の成長を見てきたというのはあるんですけど、子供の成長を追いかけても内情までは見れないじゃないですか。

子供の成長は現象として「あ、こういうふうに現れているんだな」とある程度推測できる部分はあっても、その意識の現場だったり、「前」における現場は自分が持っているんです。

その「前」を解析するためには空間も、そして空間を成り立たせている自分のことも知らないといけないと思って自己分析を始めたんですよ。

だから、心理的にいわれる認知バイアスも一時期調べていたことがあって。

人間はいろんな認知バイアスがかかった状態で世界を見るわけですよ。

前お話した空間の階層性の話にも繋がってきますが、人体が捉える空間性の世界イメージと、身体レベルの環世界の世界イメージ、人間の意識における環世界のイメージ観は全然レベルが違うという話をしましたけど。

Ricardoさん
Ricardoさん

認知バイアスという心理的な作用がかかると、意識においてはいろんな情報のフィルターがかかるわけですよ。

Ricardoさん:いろんな偏見や洗脳された概念が意識のレベルにはあって、そのようなフィルタリングをした意識で見ている世界イメージと、身体が捉えている環世界はおそらく違うんですよね。

レンズ
natan
natan

だから直接、自分の行動を自己分析して、自我の環世界をさらに超えた人体の環世界を自分の身体の動きから探してみたという感じですか?

Ricardoさん:厳密にいえば、自我を持ってしまっているので、人体が持っている環世界を垣間見ることは難しいんですよ。

自我を一旦横において、どういうふうに世界を捉えているのかと見ることは、人間である以上はおそらく難しいんです。

自我がまだ発達していない赤ちゃんで、世界をそのまま捉えているようなレベルの状態はおそらく赤ちゃんの時代にあっただろうから、その時代の世界観というのは想像することはできますよね。

だけど、想像するためには、たとえばピクサーとかディズニーで見るような赤ちゃん像(赤ちゃんが捉えているであろう世界観)は、丸っきり現代人の世界像をそのまま当てはめているので、本当は違うはずなんです。

本当はもっと純粋で、自己の身体像も自我もないような状態なので、捉える世界観は今の私たちが捉えるようなそれとは丸っきり違うんじゃないだろうかと推測できるんですよね。

同じように動物が捉える世界イメージも、ディズニーやピクサーが動物を主人公にしたような物語を作っていますが、あれは丸っきり人間社会なんですよ(笑)

人間の代わりに動物がキャラクターとして表現されているだけで、純粋な動物の世界観は持続的な奥行きの中で暮らしているので、ペットで飼っている犬や猫を追いかけるだけでも、人間とはかなり違う世界観で暮らしているのは分かりますよ。

次回につづく…

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