私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、無限遠点について解説します。
◎前回までのお話はこちら↓
無限遠点とは?
球体も前回お話したように、円と同じく「無限」という意味を与えることができます。
最新の宇宙情報では、「宇宙は球体である」といわれます。
はじめてこの話を聞いたときは、「はい?」なんて思ったのをよく覚えています(笑)
宇宙論では、この宇宙は約138億年前に誕生したとされています。
そして、宇宙が生じた場所を
無限遠点
と呼びます。
上記の画像を見てしまうと、無限遠点は私たち地球から「無限に遠い場所」と感じます。
無限遠点とはどこにあるのか?
しかし、上述したようにこの世界を「球体」と仮定した場合、無限遠点はどこにあるでしょうか?
思考実験をしてみましょう!
思考実験
イメージの中で、自分の頭上に広がる宇宙の一点を指して、「あそこに無限遠点がある」と決めます。
その無限遠点に向けて、紙飛行機を飛ばします。
物理法則を完全に無視しますが(笑)
するとどうなりますか?
世界は球体ですよね。
紙飛行機はどこに到着しますか?
答えは…
自分の背中
ですね!
不思議ですよね?
無限遠点に放ったはずの紙飛行機が、自分のもとに返ってくるなんて!
球体の始点と終点
この思考実験が伝えたいことは、
球体の始点―終点は「私」である。
ということになります。
よって、円も球体も「内的な意味での無限」と、スタート地点がゴール地点であるというような、形状特有の無限性もあわせ持っています。
無限遠点に対する疑問
さらに不思議なことは、無限遠点は「無限に遠い場所」でしたよね?
それは自分がいるその位置ですが、その場所は「無限に遠い場所」と言えるでしょうか?
ただ「スタート地点がゴール地点だった」というだけですよね?
でもそこは無限遠点…。
自分が今いる地点と、無限遠点が指し示している場所は同じではないのでしょうか?
無限遠点の別の解釈
この無限遠点という言葉が持つ意味は、あることを教えてくれているんです。
じつはこの言葉は、
自分がこの世界を「見ている位置」が無限に遠い場所にある
ということを意味しています。
見ている位置?
私の肉体はこの世界にあるよ?
この世界を見ているのは、私の「目」でしょ?
なら私がいる場所、私がこの世界を見ている場所は、この世界だよ!
なんて思いますよね?
じつは、無限遠点という言葉はこういうことを教えてくれているんです↓
じつは、「わたし」という意識はこの世界を「別の場所」から見ているんです。
物質世界に「わたし」の意識が存在していないからこそ、そこを無限遠点と呼ぶんです。
けっして、肉体がこの世界を見ているわけではないんです。
私の意識は一体どこからこの世界を見ているのか?
別の場所とは一体どこなのか?
この空間を見つけ出して、実際にその空間を体感(知覚)するところまで持っていくのがヌーソロジーです。
まとめ
すこし難しいお話をしてしまいましたね。
球体という形状と、無限遠点という言葉が持つ意味によって、頭が混乱する話になっているかと思います。
次回はこの「無限遠点」を、物理的な視点でさらにわかりやすく解説してみたいと思います!
次回もお楽しみに♪
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