私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、イデア界はどこにあるのか、についてお話したいと思います。
◎前回までのお話はこちら↓
イデア界はどこにあるのか?
私たちが見ているのは本当の宇宙ではない
私たちは「宇宙」と聞くと、地球を覆っている真っ黒い空間のことをイメージします。
しかし、これは今後くわしくお話をしていきますが、半田さんにチャネリングをしてきた冥王星のOCOT(オコツト)は、「その宇宙は真実の宇宙ではない」と話します。
OCOTいわく、私たちが見ている世界というのは
人間の内面
と呼ばれる世界だといいます。
「人間の内面」と聞くと、私たちは心の世界のことだと考えます。
しかしオコツトは「それは違う」と言います。
真実の宇宙は心の方向にある
あなたがたが意識や心と呼んでいる世界は、むしろ人間の外面方向に存在する部分です。
(中略)あなたがたにおいては、真実の意味においての宇宙の内と外が逆転してしまっているのです。
本当の外部宇宙はあなたがたの心の方向にあると考えたほうがいいでしょう。
否、正確に言えば、あなたがたの思考や記憶が存在している空間を発見したときの世界、それが本当の意味での人間の外部世界に至る入り口なのです。
(中略)
そこに、虚の宇宙があるということです。
2013:シリウス革命より
▼ 参考文献 ▼
私たち人類は頭上に広がる空間を宇宙と認識しています。
138億年前にビッグバンが起こり、そこから宇宙が誕生した。
ガスや塵があつまり惑星を形成し、奇跡のような出来事が重なって、生命を育むのに最適な地球という惑星が誕生し私たちが生まれた。
学校でもそう習ったし、現代の宇宙科学もそうだと断言しています。
今では地球外生命体の存在も認められつつあり、その存在たちは私たち地球人と同じように宇宙のどこかの惑星に住んでいる!とまで言われています。
地球の宇宙科学は進歩したね~!!
な~んて思ったら大間違い!
それが違うんだって~(´;ω;`)ウゥゥ
OCOTはこう言います。
人間が知覚しているこの物質世界は「人間の内面」と呼ばれる。
本当の宇宙は「人間の外面」に存在し、そこは人間から見れば心の方向(心の中)に存在している。
心の方向とは、人間一人ひとりの意識や記憶が存在している世界。
よって、人間が疑いもなく宇宙だと思っている空間は、
人間の外面(心の方向)にある真の宇宙を射影したもの。
本当の宇宙は心の中、意識世界にある。
どっひゃー!!!!!(⊃ Д)⊃≡゚ ゚
プラトンの「洞窟の比喩」にもあったように、私たちは洞窟の壁に映された影を本当の宇宙だと思って生きてきました。
しかし、本当の宇宙は洞窟の外、つまりそれはOCOTが示すように、心の方向にあるということでもあるんです。
よって、
真の宇宙こそがイデア界
ということになります。
見ている宇宙は意識構造の射影
さらにOCOTは、私たちが見ているこの宇宙空間は
私たち自身の意識構造の射影
だと言います。
前回お話しましたが、ヌーソロジーが表すイデアは、このような次元で構成されているとご紹介しました。
そして、今日お話している真の宇宙も、このイデアの構造そのままに、心の方向に存在しているそうです。
これは今後お話していく内容になりますが、真の宇宙には上記のような次元構造があり、その各次元には多種多様な力や生命、霊的物質などが存在しています。
私たちが地球外生命体と呼ぶ存在も、ここに存在しています。
これら多層構造が、物質世界に折り重なるようにして投影されているんです。
「折り重なるようにして投影されている」の意味は、動画制作を例にしてみるとわかりやすいです。
動画を作るにあたり、様々な映像や画像、BGM、文字入力などが必要になります。
それら一つひとつの素材を、レイヤーと呼ばれる部分に配置すること、そのレイヤーが真の宇宙に存在する各次元構造になります。
その素材を、一つに合わせて出来上がるのが動画です。
その完成動画こそが、物質世界というイメージです。
このように、私たちが見ている物質世界のすべては、真の宇宙(心の中)の射影なんです。
さらにOCOTがいうには、私たちが「宇宙」だと思っている空間は
真の宇宙のより高次に存在する次元の射影である
とのことです。
さぁさぁ、だんだんと意味がわからなくなってきたと思いますので、この辺で話をやめておきましょうね(笑)
まとめ
前回、前々回と、プラトンのイデア論をベースに、ヌーソロジーの簡単なご紹介をしてきました。
これまでお話してきたことは、この宇宙観に慣れないと混乱する内容かもしれませんし、「今すぐに信じてください」とは言いません。
これまでガッチガチの地球人の宇宙観で捉えてきたことなので、それを今すぐ変えろ!という方が無理な話ですからね。
ヌーソロジーやシュタイナー思想を学んでいく中で、すこしずつその宇宙観が変わっていくと思うので、ゆっくり進んでいきましょう♪
それでは、次回もお楽しみに♪
コメント
こんにちは
人間の内面 人間の外面 について確認させてください
スピリチュアルのように見えない世界が精神であるということはそうではなくて、主体が見える世界、見えている世界、見ている世界が精神なんだということですね
見える見えている見ているという言葉の使い分けも混乱しているところです
物質世界こそ、本当は見えない世界、心の中です
それを人間の内面とよびます これが射影された世界に住んでいます
その世界を、何気なく「外の世界」とよんでいます
真の宇宙は心の方向にある、これを人間の外面といいます
人間の知覚した世界は、つまり外の世界と呼んでいる人間の内面さえも、人間の外面の射影でもあります
つまり人間が見ている世界は(空も天体も)、人間の内面で(心の中)、なおかつ真の宇宙の射影です
今の個々の心の中(内面)、心の方向性、精神(外面)が折り重なるように反映されている世界が物質世界ということでしょうか
理解している時と、あれ?となる時があります
反転するには時間がかかりそうです
内面と外面の射影の入り混じっているイメージでしょうか
のりちゃんさんへ
お久しぶりです(^^)
>内面と外面の射影の入り混じっているイメージでしょうか
そうですね、もともと目の前の世界は全次元が重畳しているので、入り混じっているとも言えますね。
あまり「見える」「見えない」にこだわらない方が良いかもしれません。
ヌーソロジーはあくまでも新しい概念を説明しているだけなので、概念を見ようとしても見れないのは当然ですし、わからなくなるのも当然です。
簡単な話で例えると、自分が大切にしている物を手に取ったとき、その物には大切な思い出が上乗せされていますよね。
その大切な思い出、それをのりちゃんさんの精神とした場合、その物が意味ある存在、かけがえのない物として感じることができますよね。
ただの物ではなく、「これは私の人生の一部だ」って思いますよね。
そこで感じたものはどこにありますか?
のりちゃんさんご自身の中にありますよね。
大切な物たちに囲まれた部屋は、単なる空間でしょうか?
部屋でもお家でも、どちらでも構いませんが、その空間で泣いたり笑ったり、ときには怒ったりして過ごしたなって思い出があふれてきますよね?
その思い出を記憶しているのは、のりちゃんさん自身であり、それを外の空間に投影していますよね。
ヌーソロジーがいう人間の内面、外面というのは人類全体を対象にした話であり、スケールが大きすぎる話でもあるので、世界と自分を紐づけて考えるのはじつはとても難しいです。
私が実際に感じて思考してきたことは、先程お話したように、自分にとって大切な空間に思いを馳せながら、人間の内面、外面とは何なのか、精神とは何なのか、射影とは何なのかを考えることです。
そういった身近なものたちを自分に紐づけて考える、その先にようやく「世界と自分」というスケールの大きいことも思考できるようになると思います。
意識を反転させたいという気持ちがあるとは思いますが、それよりもまずは世界と自分がどう紐づくのか、それを身近なところから思考して、そこに大切なものを見つけるといった作業をしていくのが良いのではないでしょうか。
ありがとうございます
日常的には内面とか外面とかは意識していないのですが…
ヌーソロジーをノートに書き写していく時に(まだ続けています)、忠実に進もうとすると躓いてしまいます
ヌーソロジーを学ぶ以前から、心の中が現実に投影されているというのは理解しています
なぜならば心の制限が現実を制約したりしますからね
自分が許可したら前に進むことができる世界です
心が現実を創るということです
心の中を形にして見せてくれるありがたい世界だと思っています
それで「内面は心の中」というのは理解しています
外面は心の方向、精神というのがまだ理解していないようです
持続、永遠なる場所、本来の意識?
心の方向を意識していると現実の空間景色が変わってくるのだろうかと考えていました
2年前のリモート勉強会で勉強不足で
この世界は幅がない、奥行きの場所、持続を見る時に薄目で目の前を眺める(つまり幅をみない)…なんて話を聞いてしまったものですから、奥行きを意識して過ごしたりもしました
今はやめています
昨日、半田さんのYouTubeを拝見した時
「見られている世界と見えている世界は違うでしょ?
見られているところで世界を創っている
知覚が起こっている空間が心の世界、内側→(実際みえている物質世界)
それを我々は外の世界と呼んでいます
これは間違い
外は人間の内面→これは理解してます(私)
人から見られている世界が外なの
自分が見ている世界が内→自分が主体とした場合(私)
スピリチュアルは見えない世界が精神世界と言っているが、これは間違い
見える世界が精神、見えている物質世界が見えない世界です
だったら見えている世界が内なる世界だっていったら全部自分です」
この「だったら」というのは何を言おうとしているのか考えたら吐き気がしてきました(笑)
スピリチュアルでいう見えない世界は精神の世界と解釈しているが
その見えない世界とは物質の世界であるから(スピリチュアルはそれをあいまいにして伝わってしまった)
それが精神というならば全部自分なんだよという意味ですよね
結局自分と調和していたら現実世界は豊かであり精神、意識が変化してきて投影されてくる現象も変わってくるはずですね
意識が反転すると、したいですが
なったとしても平面として認識するとか、空間が幾何学だとかとらえて生きるわけではないですものね
そういう経験している人もいるのでしょうね
反転したら面白そうです
ありがとうございました
また質問するかと思います、よろしくお願いします