私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、プレアデス的統制についての詳細をお話します。
人間が生みだした最大の力「科学技術」
OCOTがいうには、そもそも「物質」という概念は、人間型ゲシュタルトが作りだしているそうです。
これは、霊的な要素を一切排除し、目に見えるものしか信じない、目の前にある物質しか信じないという唯物論的思考のことです。
このことが、じつは様々な問題の元凶になっているとのこと。
なぜ問題なのか?
それは、
人間型ゲシュタルトは宇宙を部分に分け、個体という幻想を作り、精神進化を抑制しようとするから。
これはどういう意味なのか?
人間型ゲシュタルトが生みだした最大の力、それが
科学技術
です。
科学技術は、私たちの文明になくてはならないものです。
OCOTも言います。
プレアデス的統制(科学技術)は、人間自身を進化させるためには必要な力でした。
ただし、人間の意識がまだプレアデス領域内にいる間は、科学技術の存在は問題なかったそうです。
行き過ぎたプレアデス的統制
しかし今はもう、シリウス領域に入っています。
この領域では、プレアデス的統制は行き過ぎた姿を見せはじめます。
以下、OCOTの言葉です。
あなたがたの科学技術がいくら進歩しようともそれはノスの力です。
プレアデス的統制の中で働かされている限り、科学は自然を破壊していく方向にしか働かないでしょう。
(中略)
あなたがたの科学は目の前に与えられた自然を分析し、それに伴い多種多様な言葉を作り出していきますが、その知識体系が膨らめば膨らむほど、人間にとって最も重要な精神原理が失われていっていることを知らねばなりません。
物質的知識の多大な習得にもかかわらず、それによってもたらされてくるものは精神的秩序の深刻な喪失なのです。
この喪失こそ宇宙的な意味での真の破壊と呼んでいいものです。
2013:人類が神を見る日 第6章:思考としての愛より
▼ 参考文献 ▼
なんとも衝撃的な言葉です…。
科学技術の今後
これまで人間は、自然を大いに破壊しつづけてきました。
それを改め、自然と共存するために、この科学技術を通して、人間はあれこれ考えている最中なのに。
科学技術という存在自体が「破壊」だなんて…。
この科学技術が今後どのように進んでいくのでしょうか?
それは、私たちが文明の進歩と信じて疑わない科学テクノロジーの発達や、それに伴う産業構造、社会形態の発展は、ますます人間の連帯感や協調性を失わせていくそうです。
現在の科学の進歩はますます「人間個人」というものの独立性を強調し、個体本位の社会を作り上げていくそうです。
個別化があまりに極端になると、人間は外部注入的な形でしか、全体性の秩序を保てなくなります。
倫理や道徳とよぶものの問題が、単なる「法律の問題」として置き換えられていくそうです。
プレアデス的統制型の社会は一見、自由で平等を分かち合う社会のように見えますが、そこに真の自由や平等を築くことは不可能だそうです。
これらは外部注入型による権力支配や管理、監視といった、ネガティブな側面を助長させざるを得ない力を裏側に持っているそうです。
戦争から絶えず止揚されてきた人類の歴史
この話、「2013:人類が神を見る日」に書かれているんですが、この話(チャネリング)をしている時期は、1990年代初期ですよ。
まさしくOCOTが言うような世界に、今向かっているではありませんか!
半田さんも、本の中でこう書かれています。
人類の歴史は、戦争から弁証法的運動のもとに絶えず止揚されてきた。
以下、私が大雑把にまとめてみました。
怖い!!
真の破壊行為とは
プレアデス領域は、「宇宙全体の射影の場」です。
高次宇宙と低次宇宙が互いに射影されています。
だからこそ、その閉じ込められた時空という領域で、自己を完結させようと、見事なまでに統制を作り上げていこうとする。
それがプレアデス的統制の力だそうです。
なので、トコトン物質を通して宇宙を再現しようとします。
しかし、物質を追い求めれば追い求めるほど、自然は破壊され、人間の精神さえも破壊していく。
これは「創造行為」ではなく
真の破壊行為そのもの
だそうです。
真の創造行為とは
では逆に、「真の創造行為」とはどういうものなのか?
OCOTによると、真の創造行為とは
自然界に現れた無限の多様性を「一なるもの」に統合していこうとする行為にある
とのこと。
創造の本質とは、一見複雑に見える諸々の出来事を、いかに単純化していくかにあるそうです。
私たち人類が築き上げてきた学問は、それぞれ多岐に渡っていますが、真の創造はそれを一つにまとめること。
フリーエネルギーも、体の健康も、心の状態も、すべて一つのもので解決する。
その「一なるもの」というカタチを見出すことが真の創造行為。
ヌーソロジーの構造論がイデアならば、これをベースにあらゆるものが統合できる!
私はこの話を聞いて、ヌーソロジーは人類の希望になると思いました。
なぜ宇宙は人間に科学技術を与えたのか
それではなぜ宇宙は、人間に対して科学技術を発展させる力を持たせたのでしょうか?
宇宙自らこのような危なっかしい技術を私たちに与えたのでしょう?
OCOTはこう言います。
あなたがたが歴史の中で立ち上げてきたあらゆる学問の究極の目的とは、この認識原理の転倒に気づくことにあるからです。
そして、物質的な知の累積こそが人間にこの転倒原理を気づかせる唯一の方法なのです。
2013:人類が神を見る日より
まじか…、ウソでしょ!?
わざと科学技術という玩具を与えて、それを通して転倒に気づけってこと!!??
なんというスパルタ教育!
やはり、プレアデス的統制もオリオン同様、私たち人類が自分たちの転倒に気づいて自立できるよう、お尻を叩いてるということなんですね…。
なので、科学技術を通して文明を豊かにするのではなく、その科学技術をさらに止揚する「見えない世界」「真の宇宙」に人類が目を向けなければいけない。
そこに「一なるもの」がある、ということですね。
そうやって意識を反転させていかないと、これから先地球は滅んでいく一方のようです。
結構宇宙もギリギリまで人類を追い詰めますね…。
いや…違うか。人類の意識の問題か…。
まぁ…でも、そうやって人間に転倒を気づかせるために与えられた科学技術を使って、私たちは随分と地球を痛めつけてきたわけです。
ですが、それは宇宙の計画の一部であるならば、それを許可している宇宙、そして母なる地球は「愛」の何者でもない、と私は感じました。
ありがとう。
ホントにありがとう。
そして、ごめんなさい。
そんな気持ちが地球に対して湧いてきますね。
中庸を見極める大切さ
「人生、失敗なくして成功なし」と言いますが、人類自体もそうなんですね。
ここで転倒に気づくか、気づかないか。
それが運命の分かれ道ですね。
オリオンとプレアデスの特徴をこれまで深堀りして見てきましたが、宇宙だけでなく人生においてもいえることは、
すべては「中庸(ちゅうよう)」が大事
ということ。
「中庸」とはアリストテレスの倫理学で、「徳の中心になる概念のこと」をいいます。
過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見して、これを選ぶことにあるとしました。
大切なのは、真ん中を見極めること。
その真ん中を選べるのが人間、のはずなんです!
だからこそ宇宙は、オリオンやプレアデスの両極端な面を見せて、私たちに中庸を選ばせようとしているんだと思いました。
知性がなければ、できないことですよね。
人間だったらできる!という、宇宙の絶対的な信頼がそこにあるのかもしれません。
オリオンもプレアデスも、ともに私たちの成長のために存在している霊的な力です。
けっして悪ではありません。
悪と捉えてしまうのは、まだまだ私たちの意識が自立していない証拠です。
とても厳しく、そして愛に溢れた宇宙。
そこに気づけるようになれば、私たちも変換人型ゲシュタルトになれるのかもしれません。
まとめ
じつは、このプレアデス的統制が最終段階に進むと、そこに「もう一つの領域」が見えてきます。
その領域は、プレアデス的統制を影で操っている力です。
この力が人類の進化を阻害しようとする、あの力です。
次回はいよいよ、人類の進化を阻害する力についてお話したいと思います。
このお話もかな~り重要です。
他人事ではない!という感じです。
次回もお楽しみに♪
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