私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、当サイトが対象としている「感性派ヌーシスト」さんが、どうやってヌーソロジーを理解していけばいいのか、私なりの考えをお話させていただきます。
ヌーシストには思形派と感性派がいる
ヌーソロジーを学んでいると、
なんちゅー難しい思想だ!!
と、正直思いますよね(笑)
ヌーソロジー自体が人間が持っていない概念なので、ただでさえ難しいんですが、それだけでなく、物理、数学、哲学に馴染みがないと、やっぱり理解が難しいのがヌーソロジーなんですよね。
でも、私個人の感覚としては、ヌーソロジーが難しいというよりは、ヌーソロジーを学んでいる人の多くが「思考タイプ」だということ。
思考タイプのヌーシストさんたちは、超頭のいい人たちばかりです。
私自身は、ヌーソロジーの構造を学ぶことは正直得意ではありません。
構造はやっぱり難しいし、シリウス言語は理解できないし…。
でもその反面、「ヌーソロジーはそんなに難しくない」と思っている自分もいるんです。
その理由は、私は「感性タイプ」であり、感性を通して空間や心の中を捉えるのが得意なんです。
この感性でヌーソロジーを捉えると、ヌーソロジーの世界観を身体ベースで感じられ、それを通してヌーソロジーを理解できるのです。
そこで思ったのが、
ヌーシストには思形派と感性派がいる
ということ。
本家ヌーソロジーは思形寄りの話が多くなる傾向にありますが、
感性側の人間は、実践を通して、体感ベースでヌーソロジーを学習した方が、理解が進むのではないだろうか?
と思ったんです。
体感をしたら、思考によってその体験を整理する。
これが実際私が行ってきたことなので、感性派にとってこの方法が一番いいと個人的には思っています。
自分のタイプをハッキリさせよう
私はいつも半田さんのお話を聞きながら、こう考えています。
半田さんはどの位置から、この次元を捉えているのだろうか?
半田さんは変換人として、次元観察子を顕在化させていて、半田さんの意識の位置自体は、ものすごく高次領域にあると私は考えています。
なので、次元観察子がそこまで顕在化していない自分にとっては、半田さんの意識の位置に立つことは現時点では不可能なんですよね。
だからこそ、自分の意識の位置を明確にして、自分が今やるべきこと、どこの観察子を顕在化させるべきなのかをつねに考えています。
その自分の意識の位置を明確化する前に、そもそも自分は
思形派 or 感性派
ここをハッキリさせることから、はじめるのがいいんじゃないかなと思いました。
感性派がヌーソロジーを理解するために
自分の心に向き合って思考していく
思形派の方たちは、物理、数学、哲学などを通してヌーソロジーの構造を学んでいくと思います。
感性派にとってもそれらは重要な知識ですが、感性派にとって、ヌーソロジー理解にもっとも直結することは、
自分の心に向き合っていくこと
だと考えます。
自分の心に向き合っていくことは、必然的に下記内容に取り組んでいくことになると考えます。
思形派が物理、数学、哲学なら、感性派は心理学系という感じに私は捉えています。
感性派は内在と外在をつなげやすい
ヌーソロジーは、空間の捉え方を変えていく方法を教えてくれていますよね。
本来の空間は、物理的な三次元空間ではなく、自分の持続空間であり、心の世界です。
ヌーソロジーは、その持続空間をこの「前」という空間に反転して、出現させようと試みています。
そこに、私たちの精神が息づいています。
でも、そう言われても、人間型ゲシュタルトにとっては理解が難しいことは百も承知。
しかし、感性派の人間、とくに自分の内的感情に意識を向けられる人にとっては、自分の外側と内側を連結させて考えることが得意だと思うんです。
心のお勉強をしている方なら、ご理解いただけると思いますが、
私はなぜこの事象を目にすると、○○という感情が湧くのだろう?
と考えることがあると思います。
これはすでに、外側の出来事と内側の出来事を連結させて考えられているということだと思うのです。
こういうタイプの人にとって、無意識かもしれませんが、外と内はつねにセットで結びついていると私は考えています。
これがどんどん発展していくと、「自分の心を見るために外を見る」みたいな思考になっていくんですよね。
感性派にとって、極端に外在世界と内在世界は分断されていないと思うんです。
この感覚を利用して、ヌーソロジーを理解していくと良いのではないだろうかと考えたんです。
なので感性派にとって、心理学系の学び、そして自己内観、自己受容、心の問題解決、人間関係というジャンルは、ヌーソロジーを理解するためにピッタリだと思ったのです。
思形派と感性派の空間の捉え方の違い
思形派の空間の場合
さらに、思形派と感性派とでは、空間に対する捉え方にも違いがあるのではないだろうか、と考えています。
思形派は、外側もしくは全体を俯瞰することで、ヌーソロジーの構造を捉えていくと考えています。
「形」という表現で例えると、外からそれを俯瞰視して「この形は丸い」と学ぶ、みたいなイメージです。
感性派の場合
感性派は、外から学ぶのではなく、「内側を満たして形を知る」というイメージです。
風船は膨らませる前は完成形はイメージできませんが、内側から空気を入れて、パンパンに膨らませた結果、丸だったりハート型だったり、その形を知ることができますよね。
感性派にとって、空間を理解することは内側から理解していくことなんだと思うんです。
なので、まずは自分が思形派なのか、感性派なのかを知ることで、ヌーソロジーへの取り組み方が変わってくると考えます。
感性派にとっても思考は大事
でも、感性派にとって思考が必要ない!という話ではありませんよ。
思形派ヌーシストさんは、外側の形を教えてくれます。
私も感性派なので、何事も内側から理解していきますが、自分も心の問題に対処したりする中で、
これっていつまで取り組んでいけばいいんだろう…。
と先を不安視してしまうことがあります。
でもそんなとき、思形派ヌーシストさんによって導きだされた構造を学ぶことによって、
その取り組みの先には丸い世界が見えてくるよ!(一例)
とわかると、
あ、このまま進んで大丈夫なんだ。出口はきっとあるんだ!
そう前向きに思えるんです。
そういった意味でも、感性派にも思形的な知識は必要だと考えます。
100%の理解は必要ありません。
感性派にとって「構造はそうなっているんだね~」くらいの理解でいいと思うのです。
あとは実践すればわかるのが、感性派ヌーシストの特徴ですからね。
何事もバランスですね。
まとめ
感性派であっても、行動に移せないと意味がありません。
感性のみで生きてしまうと、それこそふわふわスピリチュアルです。
目指すところは、感性派実践型ヌーシスト!!
感性派のみなさんは上記を目指して、内側から地道に頑張っていきましょうね♪
次回もお楽しみに♪
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