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【ψ3~4】光とは自分自身のことだった―奥行き/主観線と客観線

空間認識3-4_2 ヌーソロジー
natan
natan

私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は前回の続きで、光自身が見ている「前」という方向性についてのお話です。

この記事で学べること
  • 「前」という方向性は「奥行き」のこと
  • 主観線と客観線の意味
  • 時空の本当の姿
  • 無時間(無限大)の速さを持つ光の正体
  • 秒速約30万kmの速さを持つ光の正体
  • キリストの脇腹を刺したロンギヌスの槍が暗示すること

この記事の内容はψ3~4の学習になります。

次元階層の表
記事を読むときの注意点

以下の解説は、本家ヌーソロジーの内容を私流に解釈したものです。本家ヌーソロジーの解説とは異なりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。

前回のおさらい

前回のおさらいです。

  • 無限大の光速度は、100万光年先の銀河まで一瞬でたどり着ける
  • 無限大の光速度とは、光自身の速度である
  • 光自身にとってはいかなる距離も時間も発生しない

それなのに、光を観測すると秒速約30万kmという速さが計測できます。

二種類の光01

その矛盾を解決するポイントは、

光自身が見ている「前」という方向性に隠されている

そんなお話でした。

前は奥行き

私たちの「前」という方向性。

それは上下、左右どちらでもない、何か特別な方向性のようです。

この「前」とは、空間をxyzで表したとき、「z軸」に該当するもので、

奥行き方向

になります。

主観線

この「前」「奥行き」という方向性は、私たちの「見る」という行為そのものなので、主観的に見ている視線ということで、「主観線」になります。

そして上下、左右の方向性は、自分の視線からはじまるものではなく、「モノとモノ」「他者とモノ」というように客観的な視線になるため、「客観線」になります。

主観線と客観線

主観線としての「前」という世界は、距離を持たない光自身が見ている世界です。

半田さんはその世界を、このように表現します。

半田広宣さん
半田広宣さん

純粋な目の前の世界は、視野空間上でペタンと面に潰され、薄い皮膜のようなものとして存在させられている。

時空は薄い皮膜のような世界

上下、左右の幅のある世界で見ると、時空というものは、連続することで時間が流れる性質があります。

しかし、主観線である光自身が見る世界は、「距離を持たない」という性質があるため、連続する時空がある意味、ペタンと潰された状態だと表現することができます。

そのため、「前」という方向性は薄い皮膜の中に、空間的距離も、時間の経過もすべて内包されていることになります。

薄い皮膜の世界

その薄い皮膜の世界には、自分がこの世に生を受けたときだけでなく、宇宙が生まれた約138億年の歴史さえも、この奥行きという「空間の深み」の中に永遠として息づいています。

半田広宣さん
半田広宣さん

奥行き方向においては、「今、ここ」と、宇宙のはじまりである場所は、「同じもの」として考える必要がある。

そう半田さんはおっしゃっています。

光は主体そのもの

目の前で、無限小の厚みにまで圧縮された時空。

アインシュタインが言ったあの言葉。

アインシュタイン
アインシュタイン

無限大の速度としての役割を演じている光。

それは、今まさに、私たちの「前」という方向性において出現している光そのもののことなのです。

ヌーソロジーでは、

半田広宣さん
半田広宣さん

永遠が息づくその場所こそが、時間の流れ自体を感じ取っている「本当の主体」の位置である

と言います。

本当の主体とは、「見ているもの」でも「見られるもの」でもなく、

見ることそのもの

つまり、

だということになります。

時空内を突っ走る光の正体とは?

ちなみに、実験で計測された「空間内を突っ走る光」の正体について。

その光は、観測者に目撃されるという一つ高次の出来事によって、「光の中の光」へと相転移させられたものだそうです。

「空間内を突っ走る光」は客観線の世界のことなので、本当は主観線からは「見えない世界」なのです。

ですが、それが一つ高次の観測行為によって、「見えない世界」から「見える光」となって出現しているそうです。

主体である光

以上のことから、これら二つの矛盾する光速度を存在させるためには、空間内に一つの次元だけでは不可能であり、

一つの空間には「二つの次元」が重なって存在している

ということになります。

ロンギヌスの槍が暗示すること

私たちの本当の姿は「光」です。

その光から見える奥行きの世界は、永遠が息づく世界。

半田さんはこのことに人間の意識が気づいたとき、

半田広宣さん
半田広宣さん

すべての人間は創造の開始者、つまりアルケー(始源)としてのイエス・キリストへと変身するだろう。

と言います。

光の身体であるイエスの脇腹に刺さったロンギヌスの槍。

それはまさしく「奥行き」を指している…。

ロンギヌスの槍
natan
natan

あなたはこの話を信じられますか?

まとめ

私たちはまだ、「身体=わたし」という自我意識が強いので、その世界を目にすることができずにいます。

空間に対する感受性が大きく欠落しています。

ここには先程ご紹介した、主観線と客観線が大きく関わっています。

ヌーソロジーでは正しい空間認識を通して客観線から抜けだし、光としての本当の「わたし」を見つけ出していきます。

というわけで、次回はその二つの次元がどのように存在しているのかについてお話したいと思います。

次回もお楽しみに♪

コメント

  1. おかひじき より:

    ナタンさんこんにちは。

    自分自身が目の前に見えている光であるという感覚や全てが自分自身であるという感覚に至るという事は自我が崩壊する事といったような事を指すのでしょうか?それともまた全然違うのでしょうか?

    先日のエキスパートライブで半田さんが自我をしっかり築くのが重要といった事を仰っていたと思うのですが一度折角しっかり組み立てた自我を今度は自分自身で解体しなくてはならないという事なのかなあと思いなんだか遠回りしているような変な感じになりました(必要だからなのでしょうが)。

    自分自身が実際に光であると知識として知るだけでもなかなかの衝撃ですが感覚として本当に分かる瞬間はまた全然違うのでししょうか。

    • natan natan より:

      おかひじさん、こんにちは(^^)

      「目の前の空間を照らす光がワタシ」や「全てが自分自身」というのは、現時点の意識ではハッキリ感じ取ることは難しく、これは高次の認識になります。
      現時点では、「そうらしい…」という意識を持つだけで十分だと思います。いつの日かその意識が定着してくると、世界の認識も少しずつ変わってくるので、焦らずゆっくり意識を定着させていってください。

      また、人間の自我はたしかに年月をかけて組み立てられてきたものですが、今現在の自我は他者を基準に構築されているので、いわゆる自分軸がない状態です。他者に負けないように、恥ずかしくないように、たくさんの鎧を何層も重ねて身にまとっている状態です。
      半田さんがおっしゃる自我の確立は、簡単に言えば、その鎧を脱ぐこと。自分軸を持ち、精神的に自立するという意味合いのものだと考えます。
      私はよく「自我崩壊を経験した」と話しますが、その崩壊はこの話で言えば、その鎧が一気に吹き飛んだという経験のことを指します。自我の解体ではなく、鎧を脱いでいくことだとご理解いただければよいかなと思います。

  2. おかひじき より:

    natanさんお返事ありがとうございます。

    投稿後何度もチェックしていたはずなのに何故かnatanさんの返信が出てこず(開きっぱなしにしていたせいかな?)早々にお答えいただいたのにお返事が遅くなりすみません。

    自我の崩壊について自分が半田さんのおっしゃる意味を取り違えていた事が分かりました。他我化から抜け出すという意味だったのですね。

    自我崩壊もnatanさんの説明でよくイメージできました!

    現時点では「そうらしい。。」でOKとの事なのでとりあえずそのスタンスでいってみます。

    どうもありがとうございました(^^)

    <追伸>
    著書拝読させていただきました。感性派の私にとってヌースを学ぶ上でこんなに支えになる本はありません。まえがきの初めの4行でもう首がもげそうになりました (笑)。

    どうもありがとうございました。

    • natan natan より:

      おかひじきさん、返信についてはお気になさらないでください(^^)

      ヌーソロジーの解説は人それぞれで、言葉が統一されていない部分が多いので、困惑するのも無理がありません。
      私も今後は統一できるように言葉を整理していきますね。

      本も読んでいただき、ありがとうございました♪
      首がもげましたか(笑)あ…もげる寸前ですね(笑)
      感性派の方に共感していただけることが何より嬉しいです。
      今後の活動の励みになります。
      ありがとうございます☆

  3. おかひじき より:

    natanさんこんにちは(^^*

    一年前にも自分がこの記事に質問していて何だか笑ってしまいました。natanさんの最初のほうの記事を読むと一年前より理解が進んでいるのを感じ嬉しくなります。2年前はもっと分かりませんでした。

    光が存在そのものだという事なのですね。

    ふと疑問に思ったのですが光が全くない暗室というのはどう考えたらよいでしょうか。
    暗室には光がありませんが存在はいると思うのでどう考えたらよいのかなと思いました。

    • natan natan より:

      おかひじきさん、こんにちは(^^)
      ヌーソロジーは難しいですからね。
      それでも年月を重ねて一生懸命理解しようと頑張るおかひじきさんに、私も精一杯の気持ちを込めて、できる限りわかりやすく答えていきたいと思っています。
      いつもありがとうございます!

      この記事は、比較的ヌーソロジーに沿った形で解説しているので、今思うと、結構難しい内容ですよね(^_^;)

      まず、重要な点を整理すると、光は二種類あります。

      一つは、客体の視線(それは他者の光のこと)である光、観察子ψ4です。
      私たち一人ひとりも今現在このψ4の意識で世界を見ています。
      もう一つは、主体の視線(それは存在の光のこと)である光、観察子ψ3です。

      この記事でお話している「光」は、観察子ψ3のことです。
      そして、おかひじきさんのご質問から受ける印象としては、ψ3のことをおっしゃっているのかなと推測します。

      次に大前提として、ψ3の「光=主体そのもの」は、今現在、私たちの意識の光(ψ4)では捉えられないものになっています。
      ヌーソロジーでは「ψ3はミクロに縮小している」と表現しているかと思います。
      それはわかりやすく言うと、「隠れて見えなくなっている」ということです。

      ご質問にある、光が全くない暗室についてですが、暗室というのはそもそも他者の光(ψ4)によって出現している客観的空間なので、光のありなしに関わらず、また私たちの意識もψ4の状態であるため、そこに存在を感じとることはできません。

      現状、どんな空間であっても、そこにψ3の存在を感じることは難しい状態です。

      この記事でお話している二種類の光(ψ3とψ4)は、「構造上そうなっているよ」という話であり、目の前に見ている空間、そしてそこに注がれている光がψ3だよとお話しているわけではないんですね。
      構造上のお話です。

      暗室(ψ4)と存在としての光(ψ3)は、それぞれまったく別の空間性を持っているので、今回のご質問に対する回答としては、「暗室に光があってもなくても、そこに存在はいません」ということになります。
      存在を見いだせるかどうかは、自分の意識進化次第だからです。

      以上になります。
      また不明な点がありましたら、お気軽にお声がけください(^^)

  4. おかひじき より:

    natanさん

    いつも丁寧に回答していただき感謝いたします。

    幅的な光がψ3、奥行的な光がψ4という感じで考えても大丈夫でしょうか。

    ψ1 物の周りの空間
    ψ2 時間
    ψ3 ψ1と2を等化して奥行側へ行ったもの(ローレンツ収縮して素粒子側へ出た空間?)

    で、ψ3は奥行側へまわってしまったから見えないという理解でよいでしょうか?

    「光がすべてを照らしていますよね。

    その光こそ、本当の主体である「ワタシ(アナタ)」なのです。」(記事より抜粋)

    の部分でよく分からなくなってしまうのですが、ここでnatanさんの仰っている光というのは奥行側の見えない光(ψ3)であり、見えない光なんだけども照らしてはいるんだよという理解で合っていますでしょうか?

    暗室の件はとてもスッキリ分かりました!

    暗室は時空上のものなので奥行側の存在はいない(いるとしたら存在者だけ?)ということなのですね。

    • natan natan より:

      おかひじきさんへ

      奥行きの光がψ3(主体)、幅の光がψ4(客体)になります。

      そして…

      ψ1〜2:モノの内部
      ψ3:ψ1と2を等化して奥行側へ行ったもの(ローレンツ収縮して素粒子側へ出た空間?)←そうです。「素粒子側へ出た」と言いますか、そこがもともと素粒子空間なので、だから人間には認識できないのです。

      >ψ3は奥行側へまわってしまったから見えないという理解でよいでしょうか?

      はい、その理解で問題ありません。

      >「光がすべてを照らしていますよね。

      その光こそ、本当の主体である「ワタシ(アナタ)」なのです。」(記事より抜粋)

      上記の一文は削除します。
      まだ主体の光は見えないのだ、と考えた方がいいので。
      ちょっと先走った文章の書き方と、誤解を与えるような書き方をしてしまい、申し訳ございませんでした。
      上記の一文は気にしなくていいです。

      奥行きの世界は、私たち一人ひとりが光の姿にならないと見えない世界です。

      >暗室は時空上のものなので奥行側の存在はいない(いるとしたら存在者だけ?)ということなのですね。

      そうですね、存在者である自我さんですね。

      以上になります。
      よろしくお願いします。

  5. おかひじき より:

    奥行きの光がψ3(主体)、幅の光がψ4(客体)、すみません書き間違えて逆にしていました。理解できました。

    ψ1〜2:は以前半田さんがψ1が球体が広がっていく方向で人間が感じている空間(ミクロ→マクロ)でψ2が逆方向でマクロ→ミクロで時間と表現されていたのですが、モノの内部ということは三次元の時間や空間ではなく四次元の中での話ということなのでしょうか。(何度も質問すみません)

    一文削除されるとの事、私の理解が追い付かないだけなのに申し訳ないです。natanさんも意図があってこそ入れられたものだと思いますので。

    おそらく今の理解では紛らわしくなる場合があるけれどもっと理解が進めばみえてくるものなのですね。

    • natan natan より:

      おかひじきさんへ

      >ψ1〜2:は以前半田さんがψ1が球体が広がっていく方向で人間が感じている空間(ミクロ→マクロ)でψ2が逆方向でマクロ→ミクロで時間と表現されていたのですが、モノの内部ということは三次元の時間や空間ではなく四次元の中での話ということなのでしょうか。

      質問の内容に別件の話を入れてしまうと混乱してしまいますね(^_^;)

      今、おかひじきさんの一連の質問から推察すると、ψ3の主体の光を理解されたいのだろうと思うので、その質問の流れで言うならば、ψ1〜2を物質の内部と捉えるとよいと思います。

      つまりそれは三次元空間を生み出す土台ですね。

      >一文削除されるとの事、私の理解が追い付かないだけなのに申し訳ないです。natanさんも意図があってこそ入れられたものだと思いますので。

      とんでもないです。
      私も昔の理解で記事を書いているので、「今だったらこう書くのにな〜」というところが多々あります。
      気になるところがあれば、今回のようにおっしゃってくださると修正もできますので、たいへん助かります。

      新たな気づきを与えてくださり、ありがとうございます!

  6. おかひじき より:

    つい知りたい気持ちが先だってしまいこの記事に対するもともとの質問から外れたものとなってしまいました。
    申し訳ありませんでした今後気をつけます。

    最初知りたかった疑問はスッキリ解決しました。
    いつもとても分かりやすく教えて下さりありがとうございます。

    どうもありがとうございました(^^)

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