私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、前回お話したラカンのシェーマLを使って、ψ5~6における三つ目の特徴「自己と他者の場所性」について、お話したいと思います。
前回のおさらい
前回の復習から入ります。
自己は他者の中に映しだされた自己のイメージを、外部から取り入れて自我を確立するというお話でしたね。
それによって形成された自我をラカンは、
a:想像的自我
と名付けました。
自我は他者のコピー
これをヌーソロジーの構造で見ていくと、これまでの解説ではψ5が主体の身体性、ψ6が客体の身体性としてお話をしてきました。
しかし、ここに他者存在も関わってくると、正しくは下記のような描写になります。
本来、他者を表記するときの観察子には「*(スター)」がつきます。
そして、ψ5~6の領域において、自我とは「ψ*6(スター6)」となり、つまり…
自我=他者のコピー
となります。
他者の主体ψ*5 →自我ψ*6
ψ4では、他者という鏡を通して自我形成がはじまりましたが、ψ6においては、他者を通して自我を確立するため、
自我にとっては他者が主体化している状態
になり、それが「*(スター)」という記号に表れている感じですね。
人間の内面と外面の反転
さらに再度下記の図を見ていただくとわかるように、自己と他者の青と赤の矢印の方向性は、それぞれ真逆となっています。
自己にとっては、「前」という空間が主体の場所であり、「人間の外面」でしたよね?
でも他者にとっての「前」は自己の後ろ側、つまり自己にとって「人間の内面」に該当します。
つまり、自己と他者の間では「人間の内面」と「人間の外面」の関係が相互に反転しているのです。
自己と他者の空間は、反転関係にあるため、「自己と他者は対化の関係」となります。
そして、この対化を等化していくのが、次の領域であるψ7になります。
OCOT情報におけるψ5~6
最終構成に起こること
そして、お互いの空間が反転しているために、最終構成時にはあることが起こる…らしい。
これは私の見解ではありますが、人間の意識活動において、これまでは奇数観察子や偶数観察子を行ったり来たりしても、なんら問題はなかったと思います。
しかし、今の時代は人間の最終構成が絶賛進行中だと思われます。
そんな中で、これからは奇数と偶数、どちらに意識を置きつづけるかということがとても重要になるみたいです。
なぜなら、OCOT情報によると…
自己とは人間の内面と外面を等化されることによって生まれるものなのですが、人間自身はノスによって生み出されている存在なので、意識の流れはどうしても人間の内面へ傾いてしまいます。
人間の意識が人間の内面側に偏りすぎてしまうと、意識は進化の方向性とは逆方向へ変換されてしまいます。
これらの意識は最終構成が起こるとψ5そのものではなく、その反映となるような空間領域に統合されてしまうのです。
進化のときに見送られてしまう力とでも言いましょうか。
2013:シリウス革命 第4章 空間化する魂より
▼ 参考文献 ▼
これは、人間の意識が「人間の内面」に偏りすぎると、物質的世界を本質として見てしまうということだけでなく、自己にとっての「人間の内面」は他者の「人間の外面」にあたるので、
他者の「人間の外面(意識空間)」に統合されてしまう
ということが起こってくるみたいです。
ようするに、他者軸で動くようになってしまう、そんな意識を強固に持ってしまうと考えられます。
融解作用について
リウス言語では、ψ5はψ3とψ4を等化した次元のため「位置の等化」とよびます。
その反映として出現しているψ6は、それが等化されなかったということで「位置の中和」とよびます。
そして最終構成時、ψ6に意識が偏りすぎてしまうと、他者の意識領域に統合されてしまう可能性をはらんできます。
その状態は、「位置の等化」と「位置の中和」をバランスよく対化として持てなかったということであり、自己を失い、他者側の意識に入り込んでしまうので、OCOTはこのことを、
融解作用
とよんでいます。
「自己の主体性を確立することができず、完全に他者化してしまった自己」、というような意味があるそうです。
意識に融解作用が起こってしまうと、自己は主体性を持つことができなくなるので、絶えず他者の視線を意識し、物事に対する価値判断をも他者に委ねてしまうようになるそうです。
だから自分軸って大切なんですね!!
「自我=他者のコピー」は悪いことではない
上記のような話を聞くと、自我をよく思わないかもしれません。
しかし、「自我は他者のコピー(ψ*6)」といいましたが、これに良い・悪いはありません。
他者存在がいないと、私たちはこの世界で自己を認識できないからです。
「私」という存在に名前が与えられ、「私」だけの人生を歩めるのも、もとはといえば他者存在によって主体の意識を後ろに落とすことによって、この世界を内側から体感できるからです。
主体の意識のままでいたら、この世界で生きることはできません。
この世界で生きるために、私たちは他者という鏡を使って、意識を後ろに落としたのです。
そこに立ち上がってくるのが自我意識です。
なので、これは当たり前のことであり、自然なことなのです。
まとめ
ψ5~6はψ3~4とは違い、「主体と客体」「複数のモノ」「自己と他者」といったように、次元階層が持つ特徴も増えています。
そのため、この領域の話がテーマに上がるとき、上記三つの内容がごちゃまぜで話されることも頻繁にあります。
ですので、自分の中でそれぞれの特徴をしっかり理解して、何の話をしているのか聞き分けられるようになってくださいね。
次回もお楽しみに♪
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