
私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、時間の流れについてのお話です。
これまで、「無限遠点」についてお話してきました。


「わたし」という主体は、この物質世界を「外」から眺めています。
そこは「無限遠点」と呼ばれる「無限に遠い場所」です。
今日はその「わたし」という主体が、物質世界を「外」から見ていることについて、「時間の流れ」を例にあげてお話したいと思います。
さらに、ヌーソロジー独特の用語や世界観にも少しずつ触れながら、ゆっくりとヌーソロジーの世界に入っていきたいと思います。
以下の解説は、本家ヌーソロジーの内容を私流に解釈したものです。本家ヌーソロジーの解説とは異なりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。
この世界を見ている存在
前回の記事の復習になりますが、この物質世界を認識しているのは「わたし」の肉体ではなく、
「わたし」という主体(存在)
です。
そう言われても、大抵の方は、

いやいや…、この世界を見ているのは私の「目」よ。
だから肉体がこの世界を認識しているのよ。
と言うかもしれません。

はたしてそれは本当でしょうか??
電車を使って時間を解説してみる
私たちは時間は「過去→現在→未来」へと、直線状に進んでいると感じています。

この時間の流れを、「電車」を例にあげて解説してみますね。
電車に乗っているとき
自分が電車に乗っているとき、窓の外を見たりしないかぎり、電車が動いているとは感じませんよね?

都会の電車は加速が速いので、体感的に動いているのはわかりますが(笑)

一旦そういう体感的なことは置いておいて(〃・・)っ
視覚限定でお話を進めます!
電車に自分が乗っているときは、
電車と自分が一体化
している状態です。
なので、時間の流れを認識することはできません。
電車を外から見ているとき
それとは逆に、自分が外から電車を見ると、「あ…電車が動いている」と知ることができますよね。

このように、時間の流れを感じられるのは、
電車を「外」から見ているから
という、「外」が重要なポイントになります。
みなさんに質問
では、お話をふり出しに戻しますね。
再度みなさんにお聞きします。
私たちは時間は「過去→現在→未来」へと、直線状に進んでいると感じています。
さて。

なぜ私たちは時間の流れを感じられているのでしょうか?
答え
電車の例にもあったように、時間を感じられる、認識できるのは
この物質世界を「外」から眺めているから
なのではないでしょうか?
もし「電車に乗っている私」の話にもあったように、「わたし」がこの物質世界の「中」にいたら、それは物質世界と一体化していることになり、「わたし」は時間の流れを認識することはできなくなります。
でも私たちは今も、そのまた数秒後も、時計の針が動く様子や、時間の流れを感じとることができています。
それは紛れもなく、私たちがこの物質世界を「外」から眺めているからに他なりません。
映画を使って解説してみる
たとえるなら、時間を感じているこの体験は、物質世界を映画のスクリーンを通して見ている状態に似ています。

もし自分が映画の中に入ってしまったら、それは映画のコマの一部と化してしまいます。
その「コマ」という世界では、時間の流れを感じることができません。
時間とは、時間の「外」にいるから感じられるものなんです。

純粋持続の空間
その時間の「外」の空間、本当の「わたし」が見ているその場所、その空間のことをヌーソロジーでは
純粋持続の空間
といいます。
私たちは物質世界ではない、純粋持続の空間からこの世界を見ています。
それはけっして、私たちの肉体にある「目」が見ているものではありません。
「わたし」という「主体(存在)」が、この世界を時間の「外」から見ています。
今後ヌーソロジーを学ぶ中で、「目に光が入ってきて、それがレンズを通って~」という、唯物論的で物質科学的な視点は捨てていかなければいけません。
ヌーソロジーを学んでいくと、唯物論的思考がすべての妨げになっていることを知ります。
半田さんはこうおっしゃいます。

自分を首なし地蔵だと思え!


とてもわかりやすい表現ですよね(笑)
まとめ
以上、今日は電車を例にあげてお話してみました。
みなさんもぜひ、自分に問うてみてください。

わたしはなぜ時間の流れを感じているの?
わたしはどこからこの世界を見ているの?
答えは求めなくていいので、「自分に問う」ということをやってみてください。
その「問い」がとても大切です。
ちなみに私のオススメは、大勢の人がいる風景を見ながら、こういった疑問を問うことです。
私が腑に落ちる瞬間って、結構人混みの中とかが多いんですよね。
多分、世界を客観視するからなのかな?とも思います。
ぜひやってみてください。
次回もお楽しみに♪
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