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【体験談】現象と感情の分離―ψ3と似たような感覚

写真 ヌーソロジー
natan
natan

私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日はψ3の理解につながりそうな、私の実体験をお話したいと思います。

この記事で学べること
  • 現象と感情は分けることができる
  • 現象と感情の分離はψ3に似ている
  • 子どもの意識もψ3に近いものがある
記事を読むときの注意点

以下の解説は、本家ヌーソロジーの内容を私流に解釈したものです。本家ヌーソロジーの解説とは異なりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。

嫌な出来事との遭遇

先日、久しぶりに深く落ち込みました。(記事執筆2020年3月当時)

三つほど立てつづけに、嫌だなという現象が起こったからです。

涙も出るくらいで、こんな感情は久しぶりでした。

涙

ですが、嫌な現象が起こっているのに、私の意識は以前とはまったく違う動きをとっていることに気づきました。

以前までの私の意識

これまでの私は、深く落ち込むと思考が止まらなくなり、ありもしないことを想像して、さらに悲しんだりしていました。

いろんなシーンに対して「あ~でもない、こ~でもない」と思考を巡らせ、頭の中の世界にズブズブ入っていくイメージです。

感情のエネルギー浄化や自己内観に出会ってからは、そんな自分に気づいたら、すぐその世界から意識を引き上げて、自分自身を客観視するように励んできました。

ですが、この日の私は全然違っていたのです。

この日の私の意識

なんと表現すればいいのか難しいのですが、現象がただ「現象」として目の前にあるだけ。

そして、自分自身は悲しくて重い空間に浸っている、そんな状態を体験しました。

今までは、悲しい出来事が起こったら、自分の意識はズブズブとその世界に入り込んでいったのに、今回体験したのは、

意識がその世界に入っていかなかった

ということ。

意識が世界に入っていかないので、自分的にはただ現象が、テレビのワンシーンのように映しだされているという感覚だったのです。

テレビを見る子ども

私の低次自我は、

私の低次自我
私の低次自我

その世界に入って、思いっきり悲しんでやる~!

みたいな素振りをみせるのですが、現象の前にシールドが張ってあるように、意識が跳ねのけられてしまうイメージです。(あくまでイメージです。)

そして、感情の方は、

悲しくて重い空間が肉体の私を包んでいる

そんな感じでした。

私は感情のエネルギー浄化を日々やっているので、感情の動きにはいつも注目しているのですが、この日は違っていました。

現象からしっかりと感情が独立して存在しているのを、はじめて体験しました。

感情のエネルギー浄化は、作業をしているときに思考が働いて集中しづらいので、慣れるまでにはコツが必要だったり、習得するまでに多少時間がかかります。

しかしこの日は、感情が独立して存在しており、意識が世界に入っていかず、思考が働かない状態だったので、スムーズにエネルギー浄化ができました。

体験を通して気づいたこと

現象と感情の癒着

この体験を通して、気づいたことがあります。

これまでは、現象と感情が癒着していたので、私の意識は現象世界をグルグルと巡って、どんどん悲しみを増やしていました。

ありもしないことを想像し、「世界一不幸な私」という悲劇のヒロインの誕生です。

現象と感情01

現象と感情の分離

しかし、今回は感情の世界と現象世界の癒着が取れて、シンプルに現象は現象として、感情は感情として、それぞれ分離して捉えられるという体験をはじめてしました。

現象と感情02

この状態は、ψ3にすこし似ていると思いませんか?

ψ3~4_02

個人的見解

私は自分の心の問題解決をはかるために、感情のエネルギー浄化や自己内省を徹底的に行なってきました。

ヌーソロジーに出会う前にψ3の体験はしたものの、相変わらず私は自我意識のままでいます。

natan
natan

あの体験はもうできないのだろうか…。

と思うことも多々ありましたが、今回の体験で気づきました。

自我側における意識活動でも、しっかりと意識は3次元世界から抜けだしはじめていると。

ヌーソロジーの空間認識の学習は、ただ空間のとらえ方が変わるだけでなく、本当に意識が3次元空間から抜けだすので、日常の現象に対しても、意識が不必要にその世界に入っていかなくなるのかもしれないと考えました。

私は構造の勉強だけでなく、純粋持続にも意識を向けるようにしているので、感情のエネルギー浄化や固定観念外しの中で、少しずつ観念が取れていっているように感じます。

観念は次の観念を引き寄せて、どんどん数珠つなぎのように、意識を現象世界へ引きつけようとする働きがあるように思うのです。

ですが、観念が薄れてくると、次に引き寄せる観念がなくなり、

ただ現象を現象としてありのままの状態で体験する

という感じになるのかなと考えました。

子どもの意識は世界に入っていかない

今回の件で、ちょっと子どものころの自分を思い出したんですよね。

私が小さいころ、何か悲しいことがあって泣いていると、よく親に、

何で泣いてるの?ハッキリ言いなさい!

と言われた記憶があります。

ですが、まだ小さい私は、悲しい現象は目の前にあるのだけれど、それを分析・思考して「これこれがあって悲しんでいる」と言えなかったんですよね。

ただ悲しい現象があって、ただ悲しんでいるだけ。

泣く子ども

きっとまだ小さかったので、現象に対しての思考力がなく、現象のその奥にある世界にまで意識を拡張できなかったので、「ただ漠然と悲しかった」ということを思い出したのです。

今回の体験は、子どものころの感覚を取り戻したような感じがしました。

まとめ

今回の件を通して、意識の顕在化とは、空間側にダイレクトに変化が出ることだけを期待するのではなく、日頃の意識活動の中で、内的に意識の変化を感じ取れるようになることも立派な意識変化であり、その積み重ねが意識の顕在化につながるのかもしれないと思いました。

自分の生存権を握っているものは相変わらず自我意識なので、私も別件ではまだまだ3次元世界にズブズブ入っていき、悩むこともあります。

それでも、今回の体験を通して、少しずつ意識が抜けだしていることを知れたので、とても安心しました。

見えない意識の成長を、内的に感じられたので♪

次回もお楽しみに♪

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