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【定質ψ11】理性と知性―魂の働き/定質ψ11は思形ψ9と強く関連している

人間の意識発達11-12_4 ヌーソロジー
natan
natan

私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は、魂の働きとしての定質ψ11についてお話していきたいと思います。

◎前回までのお話はこちら↓

この記事で学べること
  • 定質ψ11の前半・後半の魂の働きの違い
  • 具体性に欠ける知性を確かなものにするためには、理性の力が必要
  • 知性と理性は互いに成長しあう特徴がある
  • 定質ψ11は思形ψ9と強く関連している
記事を読むときの注意点

以下の解説は、本家ヌーソロジーの内容を私流に解釈したものです。本家ヌーソロジーの解説とは異なりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。

またψ9以上の観察子解説は、「潜在期における次元観察子」になりますので、空間認識ではなく、人間の意識発達というジャンルで解説をしています。

はじめに

今日は、定質の魂の働きと思形との関係性についてお話します。

まずはじめに、定質ψ11全体の内容はこちらです↓

定質05

以下のお話は、下記サイトを参考に進めていきます。

上記サイトは哲学者である真下信一さんの書籍『学問と人生』を参考に書かれたもので、私が構築するヌーソロジーととても相性がよく、たいへん参考になるお話だったのでご紹介したいと思います。

定質ψ11のそれぞれの特徴

定質ψ11後半:知性

まず、定質ψ11後半はシュタイナーでいうところの「意識魂」にあたります。

そして、魂そのものの働きとしては「知性」を司っている領域です。

知性は一般的に「物事を知り、考えたり判断したりする能力」といわれています。

しかし、上記サイトでは知性についてこのようにいわれています。

  • ありのままの事実を認識する力
  • 知識
  • 理想

そして知性にはもう一つの側面があり、「一面性、断片性、抽象性」を持っているといいます。

知性は「全体的でなく、具体性に欠けている」とのこと。

感覚によって支配される「感性的認識」しかできない。

すなわち、知性だけでは物事の本質は突けないという側面があるそうです。

たしかに、ヌーソロジーの構造で見てみても、ψ11後半は感性の上位に君臨していますもんね。

知性それだけだと、感覚に支配されてしまうという意味がよく分かります。

魂領域全体像01

また、「知識」に関して私が個人的に思うことは、一般生活における知識だけでなく、ヌーソロジーが教える神的知性、スピリチュアルや精神世界の教えも、この「知識」に該当すると考えます。

ヌーソロジーもただ学ぶだけでは、その本質は突けませんよね。

スピリチュアルや精神世界の教えも、ただ学ぶだけでは頭でっかちになるだけです。

そういった抽象性を持つ知性としての知識を、どうすれば自分のものにできるのか?

そこで大事になってくるのが「理性」です。

定質ψ11前半:理性

ψ11前半は「理性」を司る領域で、下記のような特徴を持ちます。

  • 理性的思考(観察、分析、想像的思考)
  • 知恵の力(物事の理を悟り、適切に処理する能力)
  • 精神の力(全体を統一、総合して見る力)
  • 理想を立てる力/理論(現実可能なものにする力)
  • 意地(やる気)

こういった働きを持ち、知性をより具体的に観察、分析をして、自分の力に変えていきます。

この中で個人的に重要だと思う部分は、「知恵の力」です。

「知恵の力」は知性の知識から本質を捉える力のことです。

知恵と知識は混同しがちなのですが、じつはまったく異なるものであり、

  • 【知識】ただ知っている事実であり、それに利害関係が含まれないこと
  • 【知恵】知識をいかに使うかという判断力のこと

ただ知っている事実だけでは、頭に情報を詰め込んだだけです。

その知識から本質を捉え、知識をいかに使うか考える力こそが「知恵」だそうです。

さらに、「精神の力」について。

「精神の力」は、全体(宇宙、世界、社会、人間、自然)を統一、総合して見る力のことです。

natan
natan

まさにヌーソロジー!って感じ(笑)

ヌーソロジーを学ぶ者として、この力は絶対に必要ですね!

全体性を捉えるということは俯瞰する能力でもあるので、理性はメタ(高次)認知として、思形ψ9を観察しています。

考える女性

「知性」を超えた力が「理性」

知性と理性についてざっとお話してきましたが、知性はψ11後半として奇数系観察子の上位に君臨しているため、「知性はすごい!」と短絡的に考えてしまいますが、どうやらそれは違うようですね。

知性は放っておくと、良い方向にも悪い方向にも作用しかねないそうです。

原爆や水爆を作った<知性>や技術というものは、まさに悪魔と同衾した<知性>の姿といえるでしょう。

したがって、<知性>は常に<理性>によって貫かれているものでなくてはならない、すなわち<知性>は<理性>の<ハンドル>でなくてはならないのです。

知性と理性-哲学する?

知性を温かいものにするか、それとも冷たいものにするかは、知性そのものの力の内にあるのではなく、知性そのものを働かせる知性を超えた力の内にある。

「知性を超えた力」、それが「理性」です。

知性が良い方向にいくか、悪い方向にいくかは理性にかかっています。

とくに現代人にとって、理性の力は失われているように思います。

「知性」と「理性」は互いに連携する

そして、知性と理性は互いに連携して成長する性質を持つそうです。

理性の質が上がると知性も成長し、さらに知性が成長すると理性も成長するそうです。

つまり、理性にとっても知性は欠かせない相棒なんですね。

理性=意地(やる気)

上記サイトの中で面白いなと思ったのが、理性の中にある「意地(やる気)」という項目。

<意地>とは、簡単に<やる気>を指します。

<意地>の性質から見た<理性>とは、<やる気>だけがあるという事です。

それでは、<やる気>さえあればそれでいいのでしょうか?

<やる気があっても、実力が無い人>には限界があるように、<知性>が無い<理性>の可能性、範囲とは、小さく、狭いものになってしまいます。

逆に<知性>が上がれば上がるほど、何かを実現できる可能性は広がるのです。

このことを踏まえた上でも、<知性>の重要性を認識できるでしょう。

観察、分析、本質を突く、理論立てるなど、やる気がそれらを可能にしていると考えることができますが、やる気だけあってもそれに行動が伴っていないと意味がないですよね。

理性に「意地(やる気)」という項目を定義するならば、そのやる気を元に「行動を起こす」「在り方そのものを変える」という行為は知性にあたると考えました。

ですので、理性には「意地(やる気)」、知性には「在り方/行動」を定義してみました。

この定質側も、能動的に動くときと受動的に動くときとで、働き方が違ってくると考えています。

定質05

まとめ

最後に、ψ11前半の理性は、思形ψ9を上位から観察しています。

人間型ゲシュタルトを脱するためにも、

感性思形の無意識の反復をメタ認知によって捉え、分析、判断、変更することが大事

だと考えます。

そして、次回以降詳しくお話しますが、ψ11前半の理性はψ12前半の自己意識とバランスを取ることで、上下観察子領域を支える軸として機能すると考えます。

次回は、人間の魂領域全体のバランスについてお話したいと思います。

次回もお楽しみに♪

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