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【Q&A】ψ1~2において尺度という観念が発生することが理解できません

質問コーナー ψ1~2(点球)
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

読者さんからいただいたご質問に回答するコーナーです

読者さんからのご質問

ψ1~ψ2について。

感覚器官として触覚を対応させていることもちょっと?(モノの内部は触ることは出来ないし、カサバリとかを感じるにしてもそれはモノの外から触った感触ですから、外部がない状態ではやはり触ることは出来ないと思うので)なのですが、何よりそこから「尺度」が生まれるというところが全くわかりません。

尺度というのはものを計るときの基準ですから、少なくともAとBという二つのモノがあって、その相違を比べるところから便宜的に発生すると思うのですが、単独のモノの内部でどのようにして尺度という観念が発生するのでしょうか?

natan
natan

ご質問ありがとうございます♪

このご質問は、前回の記事とも重複する部分がありますが、再度解説してみたいと思います。

この記事で学べること
  • 次元を考察するときは、「一つ上の次元」から考察することがポイント
  • ψ1~2は「観念」の領域なので、形を持たないこと
  • 形を持たない次元は、一つ上の次元をベースに語られること
記事を読むときの注意点

以下の解説は、本家ヌーソロジーの内容を私流に解釈したものです。本家ヌーソロジーの解説とは異なりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。

回答①

まずはこちらのご質問から回答していきます。

読者さんからの質問①

感覚器官として触覚を対応させていることもちょっと?(モノの内部は触ることは出来ないし、カサバリとかを感じるにしてもそれはモノの外から触った感触ですから、外部がない状態ではやはり触ることは出来ないと思うので)なのですが、何よりそこから「尺度」が生まれるというところが全くわかりません。

ψ1~2は「モノの内部空間」です。

リンゴのワーク

しかし、実際はモノの内部空間はけっして人間には観測できない空間領域なので、モノの内部空間から出た、一つ上の次元からモノの次元を考察していかなければいけません。

なので、「モノの内部空間」は一つ上の次元から考察すると、

  • モノのかさばり
  • モノの立体性

という表現に変わります。

モノの内部空間とかさばり

その「モノのかさばり」を捉える人間の感覚器官が触覚になります。

よって、ヌーソロジーでは、

ψ1~2:モノの内部空間/触覚

として対応させていると思われます。

握ったリンゴ

なのでψ1~2のモノの内部空間に関する話をするとき、どうしても一つ上の次元から見た状態の話も入ってきてしまうのです。

これはψ1~2のときだけでなく、ψ3~4を考察するときも、一つ上のψ5~6から考察したりもします。

考察したい次元は、つねにいろんな意味で「無限空間」なので、その次元を俯瞰して見るためにも上位の次元から見る必要があるのです。

現に私もψ3~4を考察しているとき、半田さんがψ5以上の視点でお話されるときがあり、

natan
natan

あれ?今どこの観察子の話をしているんだっけ?

とわからなくなるときが多々ありました。

この件に関しては、自分の中でしっかりと「これは上位の次元から観察したときの話である」と理解していくことが大切だと感じます。

私もこれまでこの件に関して上手くお伝えできていなかったので、今日しっかりと触れさせていただきました。

回答②

読者さんからの質問②

尺度というのはものを計るときの基準ですから、少なくともAとBという二つのモノがあって、その相違を比べるところから便宜的に発生すると思うのですが、単独のモノの内部でどのようにして尺度という観念が発生するのでしょうか?

じつはこの「少なくともAとBという二つのモノがあって、その相違を比べるところから便宜的に発生すると思う」という、「相違を比べる」という行為を生みだしている原因こそ、触覚にあるのです。

「視覚」ではないのです、「触覚」です。

書籍『シュタイナー思想とヌーソロジー』で、半田さんはこのようにおっしゃっています。

それにしても、空間と時間のもとになる観念が、対象を象っている球面にあるというのは、かなり意外ではないですか?

普通は、時空の中に球面で象られた物体があると考えるでしょうから。

実は、人間の意識はここでも認識の転倒を起こしているんですね。

というのも、物理的思考は量や尺度を重視しすぎるあまり、常に距離空間をベースにして空間を表象してしまうからです。

距離空間とは空間というよりもむしろ物質です。

そうですよね。大きさや広がりといった概念は、もともと物体の内部を占めているかさばりの直観を、物体の外部の空間にまで適用させて生まれているものにすぎません。

「シュタイナー思想とヌーソロジー」P425~426より抜粋
物体の観念

半田さんがおっしゃっているこの言葉↓

半田広宣さん
半田広宣さん

空間と時間のもとになる観念が、対象を象っている球面にあるというのは、かなり意外ではないですか?

「かなり意外」という言葉。

この「かなり意外」というのは、言い換えると、私たち人間はモノのかさばりが尺度や時間を測る原因になっているということに気づいていないという意味でもあります。

これです、これ↓

ゴルフボールを握る

こうやって触ったり握ったり持ったりするとき、触覚を通して感じる「手のひらの中のふくらみ」「手の中を占める何モノかの存在」、モノの表面が触れている「皮膚の面積」

これらが知らず知らずのうちに、「AとBという二つのモノの距離を比べる=尺度を測る」という概念を生みだしているそうです。

ほぼ無意識のレベルだと思います。

目で見て尺度を図るようになったのではなく、最初に触覚を通した「かさばり」が尺度を図る土台になっているようです。

私が考えるに、

触覚とは、ダイレクトに肉体にモノのかさばりを刻み込む感覚器官

だと思っています。

その刻み込む作業がはじまったのは、赤ちゃんのころなのかな~と。

人間はすでに赤ちゃんのころから、のちに「空間を距離で測る」、そういった概念を作りだすために、せっせと肉体にモノのかさばりを刻み込んでいるのかもしれません。

赤ちゃんの指

そしてくり返しになりますが、触覚で感じ取った感覚を、見ている空間にまで派生させていることに「気づいていない」のです。

ですので、質問者さんのような疑問が出るのは当然のことだと思います。

観念は形を持たない

ヌーソロジーは、各次元領域をしっかり定義づけしていきますので、ψ1~2は、

  • ψ1:空間
  • ψ2:時間

と定義されています。

物体の観念

ただし、ψ1~2は時空に対する「観念」を作りだす領域であり、「観念」は目で見ることはできません。

「観念」は形のないものとして存在しています。

その「観念」がしっかり形をもって現れてくるのが、一つ上の次元である「ψ3~4:モノと背景の世界」からになります。

ですので、形のない観念を観察可能なものにして定義づけすると、上位の見え方を基準とした「ψ1:空間」「ψ2:時間」という言葉(定義)が与えられるんだと思われます。

「尺度」という言葉も、観念を一つ上の次元から当てはめて、そこで定義づけされた言葉をψ2に与えているんだと思います。

ここでもまた、「一つ上の次元から見る」という行為が起こっているという感じでしょうか?

まとめ

以上が、ご質問に対する回答となります。

ψ1~2は私も理解に苦しんだ領域です。

いただいたご質問にそった回答になっていれば幸いです。

natan
natan

ご質問ありがとうございました♪

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