私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は私が体験した摩訶不思議な出来事を通して感じた、意識世界についてのお話したいと思います。
私の摩訶不思議な体験
ある日、私はいつものように、ヌーソロジーの学びをもとに、空間を思考していました。
すると、私の意識が空間内へスーッと拡張していきました。
たびたびそういった現象は起こっていた時期だったのですが、その日はまた別の不思議な体験をしたのです。
それは、この世界が夢の世界のように感じられたのです。
眠ったときに見る夢のように、なんだか世界がハッキリしないというか、フワフワしているというか。
お~、フワフワする…。
なんて思ったのも束の間、今度は自分という存在に対しても、フワフワした感覚が広がっていったんです。
表現が難しいのですが、自分の存在が希薄になるというか…。
存在が希薄になるにつれ、私はこう考えていました。
ここはどこ?わたしは誰?
あの有名なセリフそのまんま(笑)
自分自身がどこにいるのか、どういう存在なのか、まったくわからなくなってくるのです。
そして意識の無限なる世界にどうしたらいいのか、どこへ向かえばいいのか、そもそも私とは一体何なのか、もうワケワカメ状態。
たとえるなら、太平洋のど真ん中に、救命胴衣を着ないで放りだされた感じです。
船や鳥もいなければ、陸も見えない、四方八方すべてが海。
そんな無限の空間に放りだされた私。
これはちょっとやばいかも!私おかしくなってる!
さすがにちょっと怖くなりました。
どんどん拡大していくんです、「私」が。
急に意識世界に出ると危険
その日は別のことを考えるようにして、フッと自我意識に戻ったのですが、そのときこう思いました。
急に広大無限の意識世界に出ると危険かもしれない
ということを。
私たちはどうしても、
真の宇宙に早く出たい!その世界をこの目で見てみたい!
と強く思ってしまいます。
ですが、どうやら自分がしっかり霊的に育っていないと、ちょっと危険なことになると思ったのです。
だって、何もわからないんだもの( ;∀;)
自分の存在も、自分の位置さえもわからなくなってしまう…。
意識世界はあまりにも広大過ぎた!!!
主体は「スキゾ的」、自我は「パラノ的」
のちに、こういうことが分かりました。
主体は「スキゾ的」、自我は「パラノ的」。
このスキゾとパラノを人間で表現すると、下記のとおりです。
スキゾ人間とは、一つの事にこだわらずいろんな事に興味を持ち、その時々を生きる人。
パラノ人間は、一つの事に執着して他の事は考えず行動、思考が一貫している人。
スキゾ人間とパラノ人間
さらにスキゾは「分裂症的」、パラノは「神経症的」でもあるそうです。
これを知って、自分が体験したこととピッタリ合致するなと思いました。
主体と自我の特徴だけでなく、それらが存在する空間にも当てはまる話だと思いました。
「私」という存在が何なのかわからなくなってしまう、主体側の空間(意識世界)はスキゾ的。
他と分離してまで、「私」を誇示したがる自我の空間(時空)はパラノ的。
私はこの体験を通して、意識世界に出ることの怖さを知りました。
だからこそ、空間認識の勉強も、シュタイナー思想の勉強も、時間をかけてゆっくり行っていくのがよいのかなと思います。
まとめ
自我的には、「どうしても早く真の宇宙へ出たい!進化したい!」なんて思ってしまうのですが、それはできないようになっていると思います。
だって危険だもの。
一段一段、階段を登っていくように前に進まないと、地固めしないと危険なんだと思います、きっと。
シュタイナーいわく、霊的な進化は輪廻転生によって進んでいくそうなので、この人生で覚醒するということはないように思います。
なので、今回の体験を通して感じたことは、
だと思いました。
焦らずゆっくり前に進みましょう。
次回もお楽しみに♪
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