
私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日からψ11~12の領域へ学びを進めていきたいと思います。
以下の解説は、本家ヌーソロジーの内容を私流に解釈したものです。本家ヌーソロジーの解説とは異なりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。
またψ9以上の観察子解説は、「潜在期における次元観察子」になりますので、空間認識ではなく、人間の意識発達というジャンルで解説をしています。
ψ11~12について
ψ11、ψ12それぞれの領域は、下記のように呼ばれます。

定質と性質は人間の意識進化で見た場合、下記の意味を持ちます。
しかし、人間型ゲシュタルトの意識が活動する潜在期においては、意味が異なってきます。
自己意識の形成という観点で見た場合、人間の定質と性質の意味は下記の意味を持ちます。
今のところは言葉の意味が分からないと思いますので、のちのち詳しくお話していきたいと思います。
そして、定質と性質を合わせた領域のことを
中性質
といいます。
定質(ψ11)と性質(ψ12)の生まれ方
定質(ψ11)と性質(ψ12)が、ψ9~10からどのように生まれるのか、解説します。
しかし、かなりねじれまくるお話で、難しく感じると思いますので、ヌーソロジー初心者さんの方は軽く読む程度で構いません。
私は個人的にしっかりと触れておきたい部分なので、お話させていただきます!
思形(ψ9)と感性(ψ10)の生まれ方(おさらい)
思形と感性は、自己と他者の元止揚の対化を交差させて、ねじれるようにして生まれました。
これを「対化の交差」といいます。

対化の交差からの交差(鋏差)
そして、定質と性質も同様に、思形と感性の対化を交差させることで生まれます。

はまぐり型元止揚だとゴチャゴチャしてしまうので、上記を整理すると下記のようになります。

定質と性質の構造は、自己の思形と感性の上に、他者側の思形*と感性*がかぶさってくるイメージです。
対化の交差からの交差という、二重のねじれになっています。
ヌーソロジーでは二重のねじれのことを
鋏差(きょうさ)
と呼んでいます。
自己意識は自他それぞれの思形と感性がねじれあって、二重化することでようやく立ちあがってくる、ということです。
このねじれは、自己と他者の間で生じる「<見る/見られる>のねじれ」を意味しています。
そしてこの構造によって、
自己意識は「他者から見た他者」としてはじめて立ちあがってくる
ということになります。
思形と感性、定質と性質の全体像
改めて思形と感性、定質と性質それぞれを、人間意識の発達で見てみると下記のようになります。

そして、上位観察子が下位観察子を観察、担当、制御している形になります。

人間存在について
そして、この定質と性質について、興味深いOCOT情報があります。
OCOTいわく、ψ12~ψ11(偶数先手)の領域を、正確な意味での「人間」と呼ぶのだそうです。

シュタイナーで見てみるとよく分かるのですが、私たちが今育てている魂は「意識魂」です。

意識魂が成長をはじめたのは、15世紀ころからです。
ヌーソロジーでいうところの、ψ12~11の領域に該当するとイメージしてみてください。
それをOCOTは「人間」と呼んでいるということは、15世紀以前はまだまだ人類は「人間」と呼べる存在ではなかったということになるのかもしれません。
現代人が歴史を研究するとき、古代人たちの意識を現代人と同じものを有しているとして、研究を進めていると思います。(価値観などは別にして)
そのため、現代人の意識をベースに、古代エジプトなどの映画が制作されたりしているので、私たち一般人もそれを当たり前のように受けとっています。
しかし、シュタイナーの教えにもあるように、本当は自我がしっかり発達したのはここ最近の話であって、古代人たちはまだまだ集合意識的に動いていたのではないだろうか?
チャネリングなども当たり前に行っていたり、神的力を与えられながら受動的に生きていたのではないだろうか?
一人の人間に、名前など与えられていなかったのではないだろうか?
私たちが人間自我を持ったのは、つい最近の話なのではないだろうか?
私たち一人ひとりが知性を持って思考することができるようになったのは、最近の話なのでは?
人間が確立したのは、ここ最近の話なのでは?

なんだか人類の歴史を根底からひっくり返してしまうくらいビックリな話です…。
まとめ
次回は今日のお話が、今度はケイブコンパスではどのように表現されるのか、見ていきたいと思います。
次回もお楽しみに♪
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