私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日から、思形ψ9のお話に入っていきたいと思います。
知覚から認知への移行
以前知覚について、「知覚とは刺激に対して意味づけを行う過程のこと」とお話させていただきました。
ここでいう「意味づけ」とは、「熱い」という感覚ですね。
「熱い」「重い」「固い」といった感覚が、知覚の最終ゴールです。
そこに達すると、今度はその知覚をもとに、
熱いのはなぜか?
重いから手を離そう。
固いから良い材料になる。
など、人間はさらに解釈を進めていきます。
外界にある対象を知覚したうえで、それが何なのか判断したり解釈したりする過程を
認知
といいます。
一般的な学問では、認知は知覚よりさらに高次の機能であるといわれています。
思形は認知、概念化のこと
ヌーソロジーにおける思形とは、ずばりこの「認知」のことです。
ヌーソロジーでは感性が先手で動き、後手で思形が動くといいます。
そしてその後は、「感性⇔思形」といったように反復するといいます。
なぜ反復するのかというと、一般的な認知に関する情報をもとにお話すると、認知を通して外界が認識されます。
認識されるとまた知覚行為が行われ、知覚と認識の反復をくり返すことで、認識はさらに「理解」へと進みます。
すると、いくつかの事物に共通する性質を抜きだして、それら事物を一つの概念のもとに統合するという働きが起こるそうです。
これがいわゆる
概念化
というものです。
思形と感性が反復する理由は、抽象化したものを、とある概念に統合するためだと考えられます。
知覚的事物に対する思考
知覚した情報はとても抽象的であり、それ自体漠然としていて、意識に上げるのが困難です。
その抽象的な感覚を概念化させることで、私たちは外界をしっかりと認識できるのです。
概念化されないと、きっと私たちは毎回、電柱や壁にぶつかっていると思います(笑)
電柱や壁にぶつからないようにするには、「電柱があったら避けよう」という概念が働かないといけません。
というわけで、思形とは、知覚的事物に対する思考のこととも言えると思います。
なぜここで「知覚的事物」という言葉を入れたかというと、今後お話する定質ψ11(前半)には、メタ(高次)認知として「理性的思考」というものがもう一つ存在するからです。
それと区別するために、「知覚的事物に対する思考」と表現しました。
まとめ
このように、思形は感性と連携することで、私たちに外界世界を認識させてくれます。
今日は一般的な情報をもとに思形についての大枠をお話しましたが、ヌーソロジーはさらに、思形が空間認識においてどう働いているかについても話されています。
というわけで、次回は思形の発達によって、どう空間が認識されていくのかについてお話したいと思います。
次回もお楽しみ♪
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