私の宇宙からこんにちは、natanです。
今回は、Ricardoさんのヌーソロジー解釈で読み取った人間次元の位置と、そこから見えてくる未来に向けて私たち人間が今やるべきことについてお話していただきました。
▼ 前回までのお話 ▼
人間次元はヒトの胎内の時代
精神構造が肉体にも現れているならば、人間の歴史の中で自我意識が個我化することも精神構造の現れだと思うので、それは必然的なように感じます。ただ、現在の人間はその個我がさらに他我化しているように思います。
三体的にみて、人類はこの他我化をどう克服していけばいいと考えていらっしゃいますか?
三体の話というよりは、私のヌーソロジー解釈ですけど、観察子としては人間次元である次元観察子があって、ψ1~14までの部分はヒト次元の大系観察子の元止揚に凝縮されますよね。(大系観察子全体も同じく脈性観察子の元止揚となる)
Ricardoさん:人間における元止揚空間(ψ1~8)は「胎内の次元」とされています。
そして、今の人間の意識が顕在化したときにヒトの次元になっていくんだとすれば、今の人間の人生、精神構造ψ1~14というのは、「ヒトの胎内次元」に射影されることになります。
人間の発達において、エニアグラムが示すように、幼少期の頃の課題が大人になってもある種の性格や特性となって現れるというものがありますよね。
それを拡大解釈すると、胎内の次元で抱えている課題がもしあるのだとすれば、それはヒトの次元になっても課題をベースにした何かの特性として現れるという可能性はあるかなと思うんです。
Ricardoさん:だとすると、たとえばよくスピリチュアルでいわれているような、「この人間の次元を卒業してアセンションしよう」「課題は放っといてアセンションしたもん勝ち」みたいな考え方は、どちらかというと危険じゃないかなと思っちゃいます。
なぜなら、その課題はシフトしたヒトの次元でも結局持ち越されて何かの特性となって現れるのだとすれば、今の人生における課題は何かしらの形で処理しなければ、結局その課題と付き合い続けることになるんじゃないかな。
そうじゃないかと思うんです、あの観察子の構造から考えると。
とはいえ、大系観察子次元のヒトの存在様式が人間の自我意識のようでなさそう、だけど具体的にどのような形で存在することになるのかはわかりませんけど(苦笑)
うんうん、なんだか怖いですね…。
目の前の人生が大事
だからこそ、今抱えている何かの課題があるんだとすれば、解決なのか受容なのか乗りこえるのかはそれぞれやり方に違いはありますけど、何かしらの形で向き合わないと、それを抱えたままヒト次元に移行したときには結局引きずることになるんじゃないかなと思います。
Ricardoさん:だから、私の中では人間であるうちは「中和が大事」「目の前の人生が大事」だと思うのは、今に向き合って課題を何かしらの形で解消しないと先に行けないことが目に見えているので、いずれにせよここで向き合わないといけないと思っているんです。
そのお話を裏付けるようなことをシュタイナーも言っていて。
natan:シュタイナーは魂浄化の大切さを強く言っているんですけど、課題を片付けて、なおかつ正しく霊性を学ばなければ、将来的に魂が流産してしまうという、結構衝撃的な表現をしているんですよね。
Ricardoさんの宇宙観がシュタイナーとつながっているなと思いました。
Ricardoさん:そうですね。人間の場合もそうですが、胎内の段階で何か問題があると、問題を抱えた赤ちゃんとして生まれてしまうじゃないですか。
それと同じことがたぶんヒトの次元でも起きる可能性があるかなと思っているんです。
なので、今の人生で抱えている課題は放っておけないよという意味で、自分の人生と向き合う必要があると思っています。
自我発達には上手な客体化が重要
今の人生における自我発達とは何だろう?とふり返ると、これまでも話してきたように、身体と空間の間に自我意識の構造が生まれてきて、その意識が客体化されるのは正常な作用なんですよ。
主観性と客観性をバランス良く保ちながら自我は確立していくので。
Ricardoさん:主観ばかりに重きを置いた成長もよくないし、客観ばかりに重きを置いた成長もよくないのは分かりますよね。
主観性が強くなるとワガママや自己主張ばかりを通す人になってしまうし、客観性が強くなると人の意見ばかりを聞いて、自分の考えがなく、人の評価ばかり気にしてしまう人になってしまう。
もちろん、成長においては自己主張も大事だし、他者にさらされ、他者を理解する客体化の作用も大切なので、社会における個人を確立する意味でも、主観性を持ちつつ自分の中に客観性を取り入れていくという両方のバランスを持って自我を確立していくことが大事だと考えています。
そういった意味では、自我の発達においては上手な客体化が重要なんじゃないかなと思います。
「上手に客体化させる」という表現は新鮮な考え方ですね。
Ricardoさん:ヌーソロジー的に表現すると、等化、等化、等化…の流れにばかり意識を向けるのではなくて、中和側もバランス良く取り入れていくことが大事という意味で「中和側が大事」だと思っています。
ヌーソロジーの観察子構造は精神のゆりかご
このように、精神の等化↔中和をくり返して自我を発達させていきながら、人間次元で人間の枠にはまった成長をする、それがヒト次元の胎内空間に射影されて、さらに新たに生まれていくということを考えると、ヌーソロジーの大きな観察子の構造は「精神のゆりかご」なのではないかと思うんです。
生まれて育てて、また生まれて育ててというようなことをくり返していくので。
うんうんうん、素敵な言葉ですね「精神のゆりかご」。
そう考えると、やっぱりこの次元を生きるって本当に大切なことですね。
次回につづく…
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