私の宇宙からこんにちは、natanです。
これまでシリーズでお伝えしてきた「宇宙と人間創造」シリーズをまとめたいと思います。
これまでシリーズでお届けしてきた「宇宙と人間創造」シリーズは、楽しんで読んでいただけましたでしょうか?
今日はこのシリーズを通して学んだことの簡単なまとめと、今後のヌーソロジー学習に関わってきそうな部分のピックアップ、そして私個人が思う「人間の進化」についてお話したいと思います。
▼ 参考書籍 ▼
総括①気になったポイント
これまでのお話を読んでいただくと分かるように、人間と宇宙の創造は同時に行われてきました。
その創造過程を通して、たくさんの気づきがありました。
個人的に重要だと思った部分をピックアップしてみると、下記の内容になります。
宇宙創造が人間の行動と似ている
まずはじめに、第一ヒエラルキーの創造神の「意図」によって、宇宙創造がはじまりました。
もうすでにこの時点で気づいたのですが、創造神による宇宙創造と、私たち人間一人ひとりが日々行っている行動は、まるっきり一緒ですよね。
でも、今の人間はその行動にかならずしも「愛」や「調和」、そして強い「意志」があるかというとそうではないと思いますが。
反転している
そして、第二ヒエラルキーの創造神によって、「反射」と「魂の働き」が生まれました。
そして最後に、第三ヒエラルキーの創造神たちによって、「自我」の萌芽が生まれることとなります。
創造神による宇宙と人間の創造は、このような流れで行われていきましたが、この話を知って、私個人の見解として、
と思いました。
個人的見解
魂に低次自我のクセが付いている
最初、私たちの誕生は、親の意図からはじまるので、それは一旦置いておきます。
赤ちゃんのころの魂は、肉体的な欲求が優勢であり、そこから他者という鏡の存在を通して自我が芽生えてきます。
それによって、個人的な欲求というものが生まれ、それが今度は実践という形で行動にあらわれる。
すごいザックリまとめると、下記のようなイメージです。
本当にザックリとまとめたので、厳密には違うかもしれませんが…。
今の私たちは、低次自我が優勢になっています。
現状は、魂の働きと低次自我が強く結びついている状態だと思われます。
これは言い換えると、
魂に低次自我のクセが付いてしまっている
ともいえると思います。
そういった魂をベースに私たちは行動しているため、利己的な行動になってしまうのは言わずもがなですね。
ですので、宇宙創造と人間の行動は反転、転倒していると思いました。
反転・転倒は悪いことではない
ただし、今後のヌーソロジーにもつながっていくお話になるのですが、けっして人間が反転・転倒しているのが悪いということではない、という点もお伝えしたいです。
先ほどもお話したように、私たちの魂は、現状では低次自我のクセが付いてしまっています。
しかし、魂のクセは、自己の意志によって転換・変換できるのです。
その自己の意志を持つために、自我が形成されていると捉えてみてください。
今は反転していますが、今の時代は低次自我を脱した自我をもって、魂を変えていく時代に入っています。
そのための学びがヌーソロジーであり、シュタイナー思想だと私は思っています。
学びを得て、意識を顕在化させ、魂を変えていく存在こそが変換人だと思います。
進化は下から順に進んでいく
さらにヌーソロジーでは、進化は下から上へ順番に進んでいかなければならないといわれます。
ですので、進化の方向性として、これまで人類が歩んできた道のりはけっして間違いではなく、しっかり宇宙の意図によって育てられていたということ。
そして、
人間が反転・転倒している理由も、今後魂を進化させるために必要なことである
と考えました。
どうしても私たちは人間存在を卑下してしまうのですが、まったくそんなことは思わなくて大丈夫だと思っています。
すべては宇宙の意図であり、これからは自分の意識次第で魂さえも変えていける。
そのための反転・転倒ですので、自信を持っていきましょう!
総括②人間の進化について
個人的見解
人間は物質化、個体化した神々
私が気になったポイントの三つ目「人間は創造神の本性をすべて凝縮化して持っている」について。
私たち人間は、これまで神という絶対的存在を崇め、自分たちを卑下してきました。
ですが、これまでのお話を読んでお分かりいただけたと思いますが、人間は創造神の本性が凝縮化した存在であり、神々となんら変わらない存在なんです。
別の言い方をするならば、
私たち人間は物質化、個体化した神々
ともいえると思います。
人体の凝縮化、宇宙の膨張
宇宙創造過程の中で凝縮化が進むことで、人体そして宇宙も物質化していきました。
「人体は宇宙そのもの」といわれますが、そもそも人体と宇宙は同時に創造がはじまっています。
そして、人体の中に創造神の本性が凝縮化するのとは反対に、外在宇宙は膨張や分離をしていきました。(例:太陽と月の分離)
ちょっと難しい宇宙観ですが、私はこれを濃縮ジュースに置きかえて考えてみました。
濃縮ジュースを作るときは、果物をギューッと絞りますよね。
ときには、その絞ったジュースを煮詰める場合もあるかと思います。
その作業工程の中で出た、皮や実、余分な水分。
これが外在宇宙に該当するのかなと考えました。
このお話の例だと、ゴミとして捨ててしまうものではありますが、宇宙はそうではなくっ!
このお話が人体と宇宙の場合、凝縮化のときに離れていった太陽や月は、元は一つの存在でした。
人体が凝縮化するのとは逆に、その他存在は外在宇宙として姿を変えていったのかなと考えました。
ですので、それらは元は一つの存在なので、人体の中にも霊的な太陽と月は存在し、外在宇宙にも物質的な太陽と月が存在しているんだと思います。
こういった創造過程があるからこそ、「人体は宇宙そのものである」といわれるのかもしれません。
あとはヌーソロジー的に見てみると、「人体の対化は外在宇宙」というシンプルな見方もアリかなと思います。
そう考えると、
人体が凝縮化するのなら、外在宇宙は膨張する
実際宇宙は膨張しているみたいですし、ヌーソロジーを勉強している者としては納得できます。
まとめ
シュタイナーの宇宙論は、ヌーソロジー並みに難しいですが、ヌーソロジーに関連しそうな部分を見ていくと、やはり宇宙創造の奥にはヌース的な構造が見えてくるような気がします。
次回は、人体が凝縮化する過程で失われていった「見霊能力」について総括していきたいと思います。
次回もお楽しみに♪
コメント
はじめまして。まだこのシリーズ(宇宙と人間創造)しか読んでいませんがとても興味深い内容かつわかりやすいです!
濃縮ジュースの例えもしっくりきました。良い記事をありがとうございます。
ガビチョウさん、コメントありがとうございます。
娯楽程度に楽しんでいただけると、嬉しいです(*^^*)