私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、ケイブユニバースで見る物質世界の成り立ちについてのお話です。
◎前回までのお話はこちら↓
時空Mの成り立ち
以前の記事で、能動的なヌースの力と、受動的なノスの双方向の力がぶつかり、時空Mが発生しているとお話しました。
ヌースは「宇宙を創造していく力」ですが、ノスはそれを「受け取る側」です。
「受け取るってどういう意味?」って思いますよね。
じつはノスは、ヌースが創造したものを受け取るために、入れカゴとして「時空」を作っているんです。
イメージとしてはこんな感じです↓
おーい。創造したものをどこに入れればいい?
あ、「時空」を作りましたので、ここに入れてもらっていいですか?
みたいな感じ(笑)
時空がないと、創造したものたちが活躍する場がないですからね。
その活躍の場を、ノスが作っているというわけです。
そして、この時空に創造されたものが入ってくることで、「時空M」というものが出来上がります。
あくまで上記は比喩ですが、ヌースとノスにはそれぞれ役割があると覚えておいてください。
炎のように立ち上がる自然界
上昇するヌースと、下降するノスの力が、互いに激しい衝突をする(ヌースが創造したものをノスが受け取る)と、時空内でどのようなことが起こるかというと、時空内で激烈な発火が起こり、そこに無数の火柱が「自然界」という形をもって立ち現れてくるんです。
そして、ここに下降してきたもう一つの存在、「人間の意識」が介入することで、さらにこの時空に変化が起こります。
自然界が現れた時空内に人間の意識が介入することで、私たちの感性によって多様な形態や色彩、音響などが立ち現れてくるそうです。
端的にいえば…
最初のヌースとノスの衝突で自然界のベースなるものが現れ、そこに人間の感性というフィルターを通して自然界に空の青さ、鳥のさえずり、風の心地よさ、様々な色合い、香りなどをつけ加えて見ているという感じでしょうか?
なので、自然の豊かさとは人間の感性というフィルターが作りだしている、といってもいいかもしれません。
人間存在の重要性
この話をまとめると、人間という存在は霊的に下降してこの物質世界に存在させられていますが、しかし同時に、人間がいないとこの物質世界は色味のないただの空間になってしまうわけです。
なので、
人間は受動的な存在でありながら、同時に創造の原因にもなっている
ということになります。
「創造の原因になっている」と言われても、まったく無自覚ですけどね(笑)
よく、このようなたとえ話を聞きます。
「誰もいない森の中で倒れた木は音を出したか?」という話。
「もし今、私たちの知らない遠く離れた地の誰も居ない森で、一本の木が倒れたとします。 その際に、その木は“音を出して”倒れたのでしょうか。」
アイルランド国教会のジョージ・バークリー主教(1685~1753)は、ある日こんなことを人々に投げかけました。──皆さんでしたら、この問いにどう応えるでしょうか。
普通に考えれば、「木は“音を出して”倒れた」という答えが返ってきますよね。
ですが、バークリー主教だけでなく、少なくない数の哲学者や心理学者は、この問いに対して「木は “音を出していない” 」と答えます。さて、それはどういうことでしょうか。
キーワードは、「認知」という言葉です。 誰も居ない森では、倒れた木の音について、だれも認知することはできません。
そして、バークリー主教は「(それが)存在するということは、(誰かがそれを)認知をすることである」という言葉を残しました。
つまりは、「存在は、認知があって初めて成り立つ」ということなのでしょう。
誰もいない森で倒れた木は、音を出したか?より
今日のお話も、この件につながると感じます。
今日のお話でいえば、人間の意識が介入するからこそ、感性フィルターを通して音が生まれるんです。
その音を聞く「存在」なるものがいないと、音は命を持ちません。
音に命を持たせる、音を生みだす、音を聞くのは人間自身なんですよね。
音だけでなく色彩も形態も、私たちの存在があるからこそ、自然に豊かさが生まれる。
物質世界とは、人間という存在があってこそのもの!なんですね。
まとめ
ヌーソロジーを学ぶと、上記のような難しい哲学的な話もすんなり理解できるようになります。
以上で、ケイブユニバース関連の話を終わりたいと思います。
宇宙は一つの円環で、ヌースとノスの双方向の力が動いている。
これをぜひ覚えておいてくださいね。
あと、いくつかヌーソロジー用語が出てきましたが、これらは今後も使っていく言葉なのでぜひ覚えてくださいね。
それでは次回もお楽しみに♪
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