私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、映画『君の名は。』で見る自己と他者の関係についてお話します。
▼ 参考文献 ▼
映画『君の名は。』
みなさんは、映画「君の名は。」はご覧になりましたでしょうか?
半田さんがこの「君の名は。」を題材に、「自己と他者」について語っています。
ストーリーは、東京に住む立花瀧(たき君)と、岐阜県糸守町に住む宮水三葉(みつは)の二人の精神が入れ替わる現象を中心として、物語が進んでいきます。
映画の中で、三葉が祖母であり、宮水神社の宮司である一葉(ひとは)おばあちゃんと組紐(くみひも)を編むシーンがありますよね。
そのシーンの中で、一葉おばあちゃんがこう言います。
より集まって形を作り、捻れて絡まって、ときには戻って、途切れ、またつながり。
それがムスビ。それが時間。
産霊(ムスビ)の神様
ここで重要なワードが、
産霊(ムスビ)
という言葉。
日本の古事記には最初、天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ)、高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)、神皇産霊尊(カミムスビノミコト)という三人の神様が登場します。
この内、二人の神様の名前に「産霊(ムスビ)」という言葉が入っていますよね。
これは、霊を生みだす神には、もともと二種類の神様がいるということです。
これを上記でご紹介した、一葉おばあちゃんの言葉に照らし合わせて見ると、
というような二種類の産霊があり、これを「自己と他者」という関係で見てみると、
がいる、ということになります。
その二つの神様のことを、一葉おばあちゃんは組紐にたとえて話していたんです。
ヌーソロジー的に見る産霊(ムスビ)の神様
上記をヌーソロジー的に見てみると、
という、あのケイブユニバースで見た双方向の力の流動性に似ています。
上記の図は、直線的な円環状のイメージでしたが、本当はその二つの力が「自己と他者」という人間の二つの意識に対して、「より集めて形を作らせ、捻れて絡まり、ときには戻して、途切れさせ、また繋げて」というような動きをさせることで宇宙を創造している、という感じになるかと思います。
その様子はまるで、
DNAのらせん
のような姿、動きだと思われます。
時間を生みだす産霊
映画ではさらに別のシーンで、祠(ほこら)に向かう途中、おばあちゃんがこう説明する場面があります。
氏神様のことを「産霊(ムスビ)」と呼び、人をつなげることも、糸をつなげることも、時間が流れることもすべてムスビで神の力であり、組紐も神の業であり時間の流れそのものを表している。
産霊(ムスビ)の力、ヌースとノスの力は、人間の意識活動だけでなく、時間の流れさえも生みだしている。
その様子を表現したものが組紐。
「より集めて形を作らせ、捻れて絡まり、ときには戻して、途切れさせ、また繋げて」という産霊の力は
宇宙のあらゆるものを創造する鋳型・テンプレートになっている
と思われます。
自己と他者の結び目が物質
宇宙自身が「自己と他者」の複雑な意識活動によって創造されているのと同じく、物質も「自己と他者」が作りだしています。
私たちは産霊(ムスビ)の力、ヌースとノスの力によって、「より集まって形を作り、捻れて絡まって、ときには戻って、途切れ、またつながり」という意識活動をしながら存在しています。
その意識活動の中で、自己と他者が交わることでできたのが「物質」。
意識というのは「素粒子」ですからね。
「より集まって形を作り、捻れて絡まって、ときには戻って、途切れ、またつながり」は意識活動でもあり、素粒子の運動そのものを表していると思われます。
物質の生成は、組紐の結び目でたとえることができます。
組紐に結び目を作り、両端に自己と他者を置きます。
結び目というのは、両端を強く強く引っ張れば強固になりますよね。
物質を生成しているのは自己と他者の意識活動ですが、結び目が強固になるということは、
「自己」と「他者」の分離が強まっている
ということを意味しています。
現在はもっとも物質に降下した時代
私たちの生きてきた2012年末までは、シュタイナー思想でも学びましたが、「もっとも物質化した時代」「意識がもっとも物質に落ち込んだ時代」でした。
これは宇宙のシステム上、致し方ないことだと思いますが、そういうシステムが作動するもう一つの要因は、自己と他者の分離が引き起こしているのかもしれません。
その証拠に、現代人はなかなか他者とつながることができなくなっています。
誰もが心の中に孤独感を持ちながら生きています。
今では、自分の心の中までもが分裂しかかっています。
そういった意識状態、心の状態が物質をより強固にし、物質中心の世界を作り上げました。
太古の人たちは、「物質」を今のように「塊」として見てはいませんでした。
「物質」を「霊(たま)」とよび、「霊(たま)=物質」は自己と他者の精神が作りだしていることを知っていました。
シュタイナー的にいえば、太古はもっともっと物質が「半物質⇔半エーテル化」していたのかもしれません。
それが今や「霊(たま)」がカッチコチの物質になってしまった。
その理由は、自己と他者の分離が極限を迎えたからというのは、なんともさみしい話です。
まとめ
以上、「君の名は。」の組紐を例にあげて、「自己と他者」そして、そこから生みだされている物質についてのお話でした。
「自己と他者」という分離があるからこそ、宇宙は創造、進化できます。
よくスピリチュアルでは「すべては私が創っている!」なんていわれますが、ヌーソロジー的に考えると、その「私」という存在はだいぶ高次元の話だと思います。
今いる次元、そして今後進む次元においても、しっかり「他者」はいます。
なので、「自己と他者」という関係性をしっかり理解した上で、自分はどう行動したら良いか?他者も含めて幸せになるために自分は何をすべきか?を考えることが、本当の意識進化につながると思います。
一緒に焦らずゆっくり、学びを深めていきましょう♪
次回もお楽しみに♪
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